四十二章経の現代語訳 11~20

1~10の続きです。序文はこちら1~10の日本語訳はこちら

■明鏡(9~12)

11 濁り水

ブッタは言いました。「人は愛欲を抱いていれば道を見ない。たとえば濁り水のようなものだ。絵の具をその中に投じて力一杯これを混ぜれば、人々が一緒になって水の上からのぞいても、その姿を見ることができるものはいない。愛欲が交錯して心の中の濁りとなり、それゆえに道を見ない。水が澄み、穢れが除かれて、清浄無垢となれば、すぐに自然とその姿を見る。

釜の下部を激しい火につければ、中の水はわき上がる。(しかし)布で上を覆えば人々がのぞいてもその姿を見ることができるものはいない。心の中にははじめから三つの毒があって、わきあがりながら内にある。五つの蓋が外を覆っている。だから最後まで道を見ることがない。

大事なことは心の垢を尽きさせることだ。そうすれば、霊魂がやって来て生まれるところ、死んだあとにおもむくところを知るだろう。それは、もろもろの仏国土、(つまり)道の徳があるところだけである。」

佛言。人懷愛欲不見道。譬如濁水以五彩投其中致力攪之。衆人共臨水上無能覩其影者。愛欲交錯心中爲濁故不見道。水澄穢除清淨無垢即自見形。

猛火著釜下中水踊躍。以布覆上衆生照臨亦無覩其影者。心中本有三毒涌沸在内。五蓋覆外。終不見道。要心垢盡乃知魂靈所從來生、死所趣向。諸佛國土、道徳所在耳

  • 致力攪之:(力をいたして之をまぜる。力をふるっての意)
  • 三つの毒:仏教では貪欲・いかり・愚かさを「三毒」と呼ぶ。
  • 五つの蓋:仏教では貪欲・いかり・おちつかなさ・ものうさ・疑いの五つを「五蓋」と呼ぶ。
  • 結局のところ、心が澄みさえすれば生まれるところがどこであれ、そこは仏国土である。

12 灯火入室

ブッタは言いました。「そもそも道とは、たとえばたいまつの火を持って暗い部屋の中に入ると、その暗闇はすぐに滅ぶ一方で明かりはまだあるようなものだ。道を学んで真理を見れば愚かさはすべて滅ぶ。見えないものは何も無いという状態を得る。」

佛言。夫爲道者。譬如持炬火入冥室中。其冥即滅而明猶在。學道見諦愚癡都滅。得無不見

  • 11と12で組。「明鏡」。

■無常 (13~16)

13 いつも道を思う

ブッタは言いました。「わたしは何を念じたか。道を念じた。わたしは何を行ったか。道を行った。私は何を言ったか。道を言った。私は真理の道を念じて、一瞬の間もいいかげんにしなかった。」

佛言。吾何念念道。吾何行行道。吾何言言道。吾念諦道。不忽須臾也

14 いつも無常を思う

ブッタは言いました。「地を観察しては無常を思う。山川を見ては無常を思う。すべてのものの姿形が豊かに燃えさかっているのを見て、無常を思う。心をつかまえてこのようにすれば、道を得るのはあっという間であろう。」

佛言。覩地念非常。覩山川念非常。覩万物形體豐熾念非常。執心如此。得道疾矣

  • 非常:「無常」という訳語の方が一般的だが、経典によってはしばしば「非常」という訳語も用いられている。四十二章経では一貫して「非常」と訳す。「非常によい」などの非常ではなく、「常なるものにあらず」という意味である。
  • 豐熾:熾は「シ(漢音)(呉音)」「①さかん、火の勢いが強い。勢力がさかんである。」

15 一日の修行

ブッタは言いました。「一日修行して、(その日の間)ずっと道を思い道を行えば、ついに信の根を得る。その福は無量である。」

佛言。一日行、常念道行道。遂得信根。其福無量

  • 信根は五根のはじめ。五根は「信、精進、念、定、慧」である。信をスタートにして→精進し→精神集中し→心が落ち着いて→智慧を得る。

16 四大と無常

ブッタは言いました。「よくよく自分で身体の四大を考えると、ある人は『何にも依存せずに存在している』と言うし、ある人は『すべて無だ』と言う。(しかし私はこう考える。)「我」は生に寄っている。そしてその生は永遠では無い。だから「我」はまるで幻のようなものにすぎない」

佛言。熟自念身中四大、名自有。名都爲無。吾我者寄生。生亦不久。其事如幻耳

  • 名自有名都爲無:この語句は難解。ここでは自有が「常見」、都爲無が「断見」を述べていると理解して翻訳した。
  • 四大:仏教の原子論的なものの考え方では、世界を地水火風の四つの要素に分けた。この四要素を四大という。
  • 吾我:アートマンのこと。無我というときの「我」。我や吾だけだと普通の主語であるように見えてややこしいのでしばしば「吾我」という風に熟語を用いる。
  • 「我」(アートマン)というのは現代人のイメージで言えば「魂」のようなもの。「魂」は「何にも依存せず永遠不変である」という人もいれば、「魂」など「全くの無だ」という人もいた。
  • 13,14,15,16は無常のまとまりである。

■愛欲 (17~28)

17 花の名声(貪り)

ブッタは言いました。「人は情欲にしたがって花のような名声を求める。それはたとえば、お香をたいて、多くの人がその香りをかぐようなものだ。お香は燃やされてそれによって香るが、自らを焼いて愚者は、俗世に流れる名誉を貪りもとめている。道の真を守らなければ、花のような名声はおのれを危うくするわざわいである。後悔があとになってあるだろう。」

佛言。人隨情欲求華名。譬如燒香衆人聞其香。然香以熏自燒愚者貪流俗之名譽。不守道眞。華名危己之禍。其悔在後時

  • 聞其香:この時代の「聞く」は音もしくは香りを感じるさいに使う。
  • 名誉を求めている人はまるで「お香」のような人間だと言う。
  • 18と組。

18 財産を貪る(貪り)

ブッタは言いました。「財産と美しい姿を人に与えてあるとどうなるか。たとえば小さな子供が刀を貪るようなものだ。刃についた蜜をなめるときに、一口のおいしさで満足しない。そして舌を断ち切る苦しみがあるだろう。」

佛言。財色之於人。譬如小兒貪刀。刃之蜜甜。不足一食之美。然有截舌之患也

  • 財色之於人:これと同じ言い方が21にもある。「愛欲之於人」と出ている。「人にとって財色とは?」というのが直訳である。上の訳は若干意訳した。
  • 一食之美:美は「美味」の美で「味がおいしいこと」。この漢字は容姿の美しさだけではなくしばしば「おいしさ」の意味で使われている。
  • 財産や見た目の美しさは一回で満足出来れば人を傷つけないが、貪ることで自分の舌を切る。

19 家という牢獄(愛欲)

ブッタは言いました。「人が妻子と宝のような家につながれている苦しみは、牢獄のくさりにつながれるよりも甚だしい。牢獄には許されることがある。妻子の情欲には、虎の口のわざわざいがあっても、甘い心でそこに身を投げてしまう。この縛りには解放されるということがない。」

佛言。人繋於妻子寶宅之患。甚於牢獄桎梏鋃鐺。牢獄有原赦。妻子情欲雖有虎口之禍。己猶甘心投焉。其罪無赦

20 姿への愛欲 (愛欲)

ブッタは言いました。「愛欲はものの姿よりもはなはなだしいものはない。ものの姿への欲は、その大きさは他にないものである。」

佛言。愛欲莫甚於色。色之爲欲。其大無外。頼有一矣。假其二。普之民無能爲道者

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