四十二章経の現代語訳 1~10

1. 沙門とは

ブッタは言いました。

「親しいものに別れを告げて家を出て道をなす。それを名付けて沙門という。いつも二百五十戒を行い、四つの真理の道へ進み、志は清浄であり、(最後には)アラカンとなる。

アラカンとはどのようなものかというと、飛行し変化することができ、死なずに寿命に留まることも、地を動かすこともできる。これに次ぐのがアナゴンである。アナゴンはどのようなものかというと、寿命が終わると霊魂が十九に昇って、そこでアラカンとなる。これに次ぐのがシダゴンである。シダゴンはどのようなものかというと、一回上に昇って、一回俗世に戻ってきて、そこですぐにアラカンとなる。これに次ぐのがシュダオンである。シュダオンはどのようなものかというと、七回死んで七回生まれて、そうしてアラカンとなる。

愛欲を断つことは、四肢を断つことに喩えられる。二度とこれを用いることはない。」

佛言。辭親出家爲道。名曰沙門。常行二百五十戒。爲四眞道行進、志清淨、成阿羅漢。

阿羅漢者。能飛行變化。住壽命。動地。次爲阿那含。阿那含者。壽終魂靈。上十九。於彼得阿羅漢。次爲斯陀含。斯陀含者。一上一還。即得阿羅漢。次爲須陀洹。須陀洹者。七死七生。便得阿羅漢。

愛欲斷者。譬如四支斷。不復用之

2. 沙門とは

ブッタは言いました。「ひげと髪を除いて、沙門となり、道のおしえを受ける。世の財産を離れ、乞食で得たもので満足する。日中に一食だけして、樹の下で一晩だけ宿をとる。(食事も宿も、)気をつけて二度しないようにする。人を愚かさでぼろぼろにするものは、愛と欲である。」

佛言。除鬚髮。爲沙門。受道法。去世資財。乞求取足。日中一食。樹下一宿。愼不再矣。

使人愚弊者。愛與欲也

  • 樹のもとでの一宿を繰り返さないというのは、ひとつのところに留まらないという沙門の理想を表しているのだろう。
  • 「沙門とは」ということで1と2が組。

3. 十善業・十悪業

ブッタは言いました。「衆生は十のことを善とする。また十のことを悪とする。身に三つ、口に四つ、心に三つである。身の三とは、殺、盗、婬。口の四つとは、二枚舌、罵り、いいかげんな言葉、飾った言葉。心の三つとは、嫉妬、怒り、愚かさ。(ここでいう愚かさとは)三尊(仏法僧)を信じずに、邪悪なものを真とすることである。

在家の信者は、五つの事を行って怠けることなく、そのうえ十の事に至れば、必ず道を得るだろう。」

佛言。衆生以十事爲善。亦以十事爲惡。身三。口四。意三。

身三者。殺。盜。婬。口四者。兩舌。惡罵。妄言。綺語。意三者。嫉。恚。癡。不信三尊。以邪爲眞。

優婆塞行五事。不懈退。至十事必得道也

  • 優婆塞の五事とは五戒のことか。
  • 「悪い行い」および「得道」ということで4と組。

4. 悪があれば改めよ

ブッタは言いました。「人には多くの過ちがあるが、それでいて自分で後悔しない。すぐにその心をやめよ。罪は自分の身に帰ってくる。たとえば水が海に帰るようなものだ。自然と深く広くなっていく。悪があればその非を知り、過ちを改めて善を得よ。罪は日々消えて、後に道を得るだろう。」

佛言。人有衆過。而不自悔。頓止其心。罪來歸身。猶水歸海。自成深廣矣。有惡知非。改過得善。罪日消滅。後會得道也

5 悪に善で返す+礼物を受け取らないたとえ

ブッタは言いました。「人の愚かさ、わたしはそれを不善だと考える。わたしは四つの平等な慈しみで、彼らを護り救う。繰り返し悪意をもってわたしのところに来るものには、繰り返し善をもって彼のところに行く。福徳の気配は、いつもここに有るのだ。害することは重いわざわいとなる。跳ね返って彼のもとにとどまる。」

ある人が、仏道は優しさと慈しみを大切にし、悪をともなって来たならば善をもって迎えるらしいということを聞いたので、(ブッダのもとに)やってきて罵りました。ブッタは黙ったまま答えずに、彼をかわいそうに思いました。「愚かさが彼をこのようにしているのだ」、と。

罵りが止むと彼に質問して言いました。「あなたは贈り物を人にあたえて、その人が受け取らなかったならば、実にこのような贈り物はどうするか」。彼は言いました。「持って帰るさ。」(ブッタは言いました。)「今、あなたは私を罵っているが、わたしもまたこれを受け取らない。あなたは自ら持って帰りなさい。わざわいはあなたの身に(帰ってくる)。例えば音の響きが同じ音を返すように、影がその形を追うように、決して逃れられる人はいない。悪をなすことは慎みなさい。」

佛言。人愚、吾以爲不善。吾以四等慈。護濟之。重以惡來者。吾重以善往。福徳之氣。常在此也。害氣重殃。反在于彼。

有人、聞佛道。守大仁慈。以惡來。以善往。故來罵。佛默然不答愍之。癡冥狂愚使然。罵止問曰。「子以禮從人。其人不納。實禮如之乎」。曰「持歸」。「今子罵我。我亦不納。子自持歸。禍子身矣。猶響應聲。影之追形。終無免離。愼爲惡也」

  • 以禮從人:雑阿含などのパラレルからすれば、「贈り物を人に渡す」という意味。従うという漢字をこのように使う例はとても珍しい。
  • 普通の四十二章経の解説ではこの部分を前半と後半の二つに分けて数える。

につばする+風に逆らって土をまく

ブッタは言いました。「悪人で賢者に害を与える人は、まるでを仰いでつばをするようなものだ。つばはを汚さず、かえっておのれの身を汚す。風に逆らって人に土をかけるようなものだ。塵は相手を汚さず、かえって身にふりかかる。賢者を誹謗することはできない。過ちは必ず己を滅ぼすのだ。」

佛言。惡人害賢者。猶仰而唾。唾不汚。還汚己身。逆風坋人。塵不汚彼。還坋于身。賢者不可毀。過必滅己也

  • 5と6で組。

7. 布施その1

ブッタは言いました。「そもそも人が道のつとめをなすということは、ひろく愛しひろく哀しむことである。徳を布施することよりも大きい布施はない。こころざしを守り道に身を奉じるならば、その福は非常に大きい。人を見たならば、道を施し、彼を助けて大喜びさせたならば、また幸福の報いを得るだろう。」

質問して言いました。「その福は将来的にも滅ばないのでしょうか?」ブッタは言いました。「たとえばたいまつの火のようなものだ。数千百人がそれぞれたいまつを持ってきて、その火を取って行ったとしても、食物を加熱できるし暗闇を除くことができる。その火はもとのままだ。福もまたこのようである。」

佛言。夫、人爲道務、博愛博哀。施徳莫大施。守志奉道。其福甚大。覩人施道。助之歡喜。亦得福報。質曰。彼福不當減乎。佛言。猶若炬火。數千百人。各以炬來。取其火去。熟食除冥彼火如故。福亦如之

  • 維摩経の法灯につながる内容
  • 覩・・・「みる」また、目+都とも書く。「よく見る」という意味合いらしいが、人の様子を観察してとまで訳していいか分からない。
  • 熟・・・火を通して食べられるようにする。「にる」。熟の中では一番古い意味として、漢辞海は出している。時代的にどこまで通じるか。

8 布施その2

ブッタは言いました。「凡人百人に食事を与えることは、一人の善人に食事を与えることにおよばない。善人千人に食事を与えることは、五戒をたもつ一人に食事を与えることにおよばない。五戒をたもつ人一万人に食事をあたえることは、一人のシュダオンに食事をあたえることにおよばない。シュダオン百万人に食事を与えることは、一人のシダゴンに食事を与えることにおよばない。シダゴン一千万人に食事を与えることは一人のアナゴンに食事をあたえることにおよばない。一億のアナゴンに食事を与えることは一人のアラカンに食事を与えることにおよばない。十億のアラカンに食事を与えることは一人の辟支佛に食事を与えることにおよばない。百億の辟支佛に食事を与えることは、仏法僧の教えで彼の子供と両親を救うことにおよばない。千億人に教えることは、一人のブッタに食事を与えること、(また自ら)学んでブッタになろうと願い、人々を救いたいと思うことにはおよばない。

善人に食事を与えることは福がもっとも大きい。凡人は地の鬼神に仕えるが、自分の親を大事にしたほうがましである。(いうなれば、)両親がもっとも神様として大切だ。」

佛言。飯凡人百。不如飯一善人。飯善人千、不如飯持五戒者一人。飯持五戒者萬人。不如飯一須陀洹。飯須陀洹百萬。不如飯一斯陀含。飯斯陀含千萬。不如飯一阿那含。飯阿那含一億。不如飯一阿羅漢。飯阿羅漢十億。不如飯辟支佛一人。飯辟支佛百億。不如以三尊之教度其一世二親。教千億。不如飯一佛、學願求佛、欲濟衆生也。飯善人。福最深重。凡人事地鬼神。不如孝其親矣。二親最神也

  • 両親を大切にしなさいという教えは仏教としては違和感があるかもしれないが、在家者向けに説かれた教えだと考えればそこまでおかしくもない(この段は布施について述べているので聞き手は在家者を想定している)。在家者に「両親を大切にしろ」と説く経典は阿含の中にもしばしばある(例えば六方礼経)。

9 天下の五難(明鏡)

ブッタは言いました。「下には五つの難所がある。貧しくて布施が難しいこと。豊かで地位が高く、道を学ぶのが難しいこと。命を制御して死なないようにするのが難しいこと。ブッタや経典に出会うのが難しいこと。ブッタのいる時代に生まれるのが難しいこと。(この五つである。)」

ある沙門がブッタに質問しました。「どのようなきっかけで道を得るのでしょうか。どうすれば宿命を知ることができるでしょうか。」ブッタは言いました。「道に形はない。これを知ったところで意味がないだろう。重要なのは志と行いを守ることだ。たとえば鏡をみがくようなものである。垢をとって光があれば、すぐに自らの姿を見る。欲を断って空を守れば、すぐに道の真を見て、宿命を知る。」

佛言。下有五難。貧窮布施難。豪貴學道難。制命不死難。得覩佛經難。生値佛世難。

有沙門問佛。以何縁得道。奈何知宿命。佛言。道無形。知之無益。要當守志行。譬如磨鏡。垢去明存。即自見形。斷欲守空。即見道眞。知宿命矣

10 明鏡

ブッタは言いました。

「何が善だろうか。ただ道を行うことが善である。

何が最大だろうか。こころざしと道が合わさったものが最大である。

何が多力だろうか。忍辱がもっともたくましい。忍んで怨むことがない。(そのような人は)必ず人の尊となる。

何が一番の明かりだろうか。心の垢を除き、悪の行いを滅ぼして、内を清浄にし、きずのないようにすることだ。(このようにすれば)地が起こる以前から今日におよぶまで、世界中のあらゆるところの(すべての事象について)、いまだ現れていない芽生えすらも、知らないものは無く、見たことのないものは無く、聞いたことのないものも無い状態となり、一切智を得る。明と言うべきではないか。」

佛言。

何者爲善。唯行道善。何者最大。志與道合大。

何者多力。忍辱最健。忍者無怨。必爲人尊。

何者最明。心垢除。惡行滅内清淨無瑕。未有地。逮于今日。十方所有。未見之萌。得無不知無不見無不聞。得一切智。可謂明乎

  • 最期の「明」の部分については訳に不安あり。

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