雑記:医療漫画と仏教説話 (『仁』/『異世界薬局』)

先日『佛説㮈女祇域因縁經』 の翻訳を行って驚いたが、現代の日本の医療漫画とこの物語にはいろいろな共通点があった。

まず、『JIN-仁-』という現代の医者が江戸時代にタイムスリップする漫画だが、これはドラマ化もしたのでご存知のかたも多いだろう。この漫画で主人公の医者がタイムスリップして最初に行ったのが、脳外科手術である。そこでは頭を開かれた息子に対してもうやめてくれと激昂する母親が登場する。

この母親は騒ぐなと言われてシュンとなり、その後治療への協力を申し出る。

この展開は『佛説㮈女祇域因縁經』 の脳外科手術の描写によく似ている。

爾時國中有迦羅越家女年十五臨當嫁日。忽頭痛而死。祇域聞之往至其家。問女父曰。此女常有何病。乃致夭亡。父曰。女小有頭痛。日月増甚。今朝發作。尤甚於常。以致絶命。祇域便進以藥王照視頭中。見有刺蟲。大小相生乃數百枚。鑚食其腦。腦盡故死。便以金刀披破其頭。悉出諸蟲。封著甖中。以三種神膏塗瘡。一種者補蟲所食骨間之瘡。一種生腦。一種治外刀瘡。告女父曰。好令安靜。愼莫使驚。十日當愈平復如故。到其日我當復來。

 そのとき国の中にとあるカラエツ家の女がいました。年は十五歳で、まさに嫁入りの日になって、突然、頭が痛み、死んでしまいました。ジーヴァカはこれを聞いてその家を訪ねると、娘の父親に質問しました。「この娘はいつもどんな病気を持っていて、そして若くして死ぬに至ったのか。」父親は言いました。「娘は小さいころから頭痛持ちで、月日が経つと段々激しくなっていきました。今朝、発作を起こしたのですが、いつもより非常に激しくて、それで死んでしまったのです」。ジーヴァカはこれを聞いて前に出ると、薬王樹を使って頭の中を照らして見てみました。すると、刺し虫がいるのが見えました。大小さまざまに生じていて、数百匹おり、彼女の脳に穴を開けて食べていました。脳はことごとく衰えて死んでいました。そこで金の刀でその頭を開くと、虫たちをすべて出して、かめの中に封じ込めると、三種類のすばらしいぬり薬をきずあとに塗りました。一つ目は捕まえた虫が食べていた頭蓋骨の間のきずあとに塗り、二つ目は虫が生じていた脳に塗り、三つ目は外の刀のきずあとを治すのに塗りました。娘の父親に告げていいました。「よく安静にさせて、びっくりさせるようなことがないように気をつけなさい。十日で治って、もとのように回復するだろう。その日が来ればわたしはまたここに来る」。

祇域適去。女母便更啼哭曰。我子爲再死也。豈有*披破頭腦當復活者。父何忍使人取子那爾。父止之曰。祇域生而把針藥。棄尊榮位。行作醫師。但爲一切命。此乃之醫王。豈當妄耶。囑語汝言。愼莫使驚。而汝今反啼哭。以驚動之。將令此兒不復得生。母聞父言。止不復哭。共養護之。寂靜七日。七日晨明女便吐氣而寤。如從臥覺。曰我今者了不復頭痛。身體皆安。誰護我者。使得如是。父曰。汝前已死。醫王祇域故來護汝。破頭出蟲以得更生。便開甖出蟲示之。女見太便驚怖。深自慶幸。祇域神乃如是。我促得報其恩。父曰。祇域與我期言。今日當來。於是須臾祇域便來。女歡喜出門迎。頭面作禮。長跪叉手曰。願爲祇域作婢。終身供養以報更生之恩。祇域曰。我爲醫師。周行治病。居無常處。何用婢爲。汝必欲報恩者。與我五百兩金。我亦不用此金。所以求者。凡人學道法當謝師。師雖無以教我。我嘗爲弟子。今得汝金。當以與之。女便奉五百兩金。以上祇域。祇域受以與師。因白王。暫歸省母。到維耶梨國

 ジーヴァカは立ち去りました。すると娘の母親はさらに声をあげて泣きました。「私の子はまた死ぬことになった!どうして頭を開いて、また生き返るものがいるでしょうか。お父さん、どうして人に我が子を取らせて、このようにさせたのよ!」父親はこれを止めて言いました。「ジーヴァカは生まれたとき針と薬を手につかんでいて、栄誉ある地位を捨てて、ただすべての命のために医師となった人だ。彼はの医王である。どうして嘘つきだろうか。ジーヴァカはお前に言葉を託して、『びっくりさせるようなことがないように気をつけなさい』と言った。それなのにお前はいま、かえって大声で泣いて、それで娘をびっくりさせて、この子が生き返らないようにしているじゃないか」。母親は父親の言葉を聞いて、泣き止み二度と大声で泣くことをしませんでした。二人で一緒に娘を看護して、安静にして七日経ちました。七日目の明け方、そこで娘は息を吐いて、目を覚ましました。まるで眠りから覚めただけのようでした。そして言いました。「わたしは今はすっかり頭が痛くないわ。体も安らかなの。誰が私を守ってくれて、こんなふうにしてくれたの?」父親は言いました。「お前は一度すでに死んでいたんだ。医者の王さまのジーヴァカがわざわざ来てくださってお前を守ったのだ。頭を破って虫を出して、それで生きながらえさせてくれたのだ」。そう言うと、かめを開いて虫を出して娘に見せました。娘はそれを見て大変びっくりし、深く自分の幸福をよろこびました。「ジーヴァカの神技とはこのようなものなのですね。わたしははやくこの恩に報いたいです。」父親は言いました。「ジーヴァカは私に約束した。今日来るはずだ。」さてそこで、ジーヴァカがやってきました。娘は大喜びして門から出て迎えました。頭を地面につけて礼をすると、跪いて手を交叉して言いました。「どうかジーヴァカさま、わたしを召使いにしてください。この身が終わるまで供養して、生きながらえさせてくださった恩に報いたいと思います。」

 細かいところはもちろん違っているが、①脳外科手術を行い②それで命が助かるとは信じられない母親が激昂し、③男性に諫められて、④治療に協力するというおおまかな位置関係はちょうど同じである。また『仁』では助けられた男の妹が主人公の助手として活躍していくことになるが、『佛説㮈女祇域因縁經』でも助けた娘が召使としてジーヴァカに仕えることを提案している(ただし『仁』と異なりジーヴァカはこの提案を断る)。このように非常によく似た構造を持っているように思われる。

次に、またタイプの違う作品であるが、『異世界薬局』という最近流行りの異世界系漫画にもこの仏教説話によく似た要素が現れている。それは病巣の透視能力である。(※原作はライトノベル)

これは『佛説㮈女祇域因縁經』に登場する「薬王樹」によく似ている。

後欲入宮。於宮門前。逢一小兒擔樵。祇域望視悉見此兒五藏腸胃。縷悉分明。祇域心念。本草經説有藥王樹。從外照内見人腹臟。此兒樵中得無有藥王耶。即往問兒。賣樵幾錢。兒白十錢。便雇錢取樵。下樵置地。闇冥不見腹中。祇域更心思惟。不知束中何所爲是藥王。便解兩束。一一取之。以著小兒腹上。無所照見。輒復更取。如是盡兩束樵。最後有一小枝。栽長尺餘。試取以照。具見腹内。祇域大喜。知此小枝定是藥王。悉還兒樵。兒既已得錢。樵又如故。歡喜而去

のちに宮殿に入ろうとしたときのことです。宮殿の門の前に一人の小さな子供がまきを背負っているのを見かけました。ジーヴァカは遠くから見ていたのですが、この子供の五臓と腸と胃が子細にはっきりと見えました。ジーヴァカは思いました。「薬草学の経典に『外から内部を照らして人の腹の臓器を見ることができる薬王樹というものがある』と述べてあった。この子供のまきの中に、薬王樹がきっとあるのではないか?」すぐに近づいて子供に質問しました。「まきを売っているが、いくらだい」。子供は申し上げました。「十銭です」。それを聞くと銭を渡してまきを買い取りました。(子供が)まきを下ろして地面に置くと、暗くなってお腹の中が見えなくなりました。ジーヴァカはそこで思いました。「束のなかのどれが薬王か分からないぞ。」そこで二つの束をほどくと、一つ一つ取って、それを子供のお腹の上に置きました。照らして中が見えなければそれをまた取りました。このようにして二つのまきの束をすべてチェックすると、最後に一つの小枝がありました。切り取られた長さは一尺ほどです。試しにこれを取ると照らしはじめ、くわしくお腹の中が見えました。ジーヴァカは大喜びして「この小枝が薬王に違いない」と知りました。ジーヴァカは他のまきをすべて子供に返しました。子供は銭を得たうえに、まきも元のままだったので、大喜びして立ち去りました。

 ジーヴァカの物語ではこの薬王樹が治療に大活躍するわけだが、『異世界薬局』の神眼と両者はよく似ていると言えるだろう。

このように、現代日本で書かれた漫画とジーヴァカの物語が共通性を持つと言うのは実に興味深いことである。1000年以上前にジーヴァカの物語を作った作者は、脳外科手術の読者へ与える強烈なインパクトを見抜き、またレントゲン技術をその診察手段に採用していた。その発想の仕方は、まるで現代医学の立場から古代世界での医療モノ漫画を描こうとしたときの発想によく似ていたわけである。

説話物語を読んでいると荒唐無稽だなぁと思うことがしばしばあるが、一方でこういう共通点を見つけると、医療モノ物語としての工夫や創意がしっかり凝らされていたことに気づく。その先見的な発想は、少し表現の仕方を変えさえすれば、現代人の我々にも「面白い」と思わせる力のあるものだというわけである。

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