マンゴー娘と名医の物語 『佛説㮈女祇域因縁經』 (No. 0553 安世高譯 )

 

本文と翻訳

No.553[No.554] 佛説㮈女祇域因縁經 後漢安息國三藏安世高

ブッタの説いたマンゴー娘とジーヴァカの因縁の教え

後漢の安息国三蔵、安世高が訳す。

<第一部>

如是我聞。一時佛在羅閲祇國與大比丘千二百五十人倶。菩薩摩訶薩。龍八部。大衆集會説法。

このように私は聞きました。あるときブッタはラージャグリハ国に立派な比丘1250人と一緒におりました。立派な菩薩たち、神々や龍をはじめとした八種類の生き物たち、大衆が説法に集まっていました。

時世人民。施者無量。有一貧人、唯有一爛壞手巾。意欲布施。懼此物惡。猶豫未決。

そのときの世の人民は(信仰があつかったので)施しをする者が数え切れないほどいました。ある一人の貧乏人がおりましたが、彼はただ一つのぼろぼろになったハンカチだけを所有していて、それを布施したいと考えていました。(しかし)この布切れでは物が悪いのではないかと不安になって、まだ決心が付いていませんでした。

  • 羅閲祇國:「 ラージャグリハ 」を参照のこと。

爾時座中有一比丘尼。名曰㮈女。 即從座起。整服作禮長跪叉手。白佛言。世尊。我自念。先世生波羅㮈國。爲貧女人。時世有佛。名曰迦葉。時與大衆。圍繞説法。坐聞經歡喜。意欲布施。顧無所有。自惟貧賤。心用悲感。詣他園圃。求乞果蓏。當以施佛。時得一㮈。大而香好。一盂水并捺一枚。奉迦葉佛及諸衆僧。佛知至意。呪願受之。分布水㮈。一切周普。縁此福祚。壽盡生。得爲后。下生世間。不由胞胎。九十一劫。生㮈華中。端正鮮潔。常識宿命。今値世尊。 開示道眼。

そのとき座っていた人々のなかに、マンゴー娘という名前の一人の比丘尼がいました。すぐさま座から立ち上がって服を整えて礼をすると、ひざまずき手を交叉させて、ブッタに申し上げました。

「世尊よ。わたしはみずから思いますに、前世ではバラナ国に生まれた貧しい女性でした。そのとき世にブッタがおりまして、名前は迦葉といいました。そのとき多くの人々に囲まれて説法をしておりまして、私はそこにすわって経を聞き大いにうれしくなりました。布施をしたいと思ったのですが、ふと思えば何も所有していませんでした。自分の貧しく卑しいさまを思うと、心が悲しく感じました。他の人の果樹園や畑を尋ねて、果実を乞い求め、それによってブッタに布施をしようとしました。そして、そのとき大きくて香りのよい一つのマンゴーを手に入れました。鉢に入れた水を一杯とマンゴーを一枝、手で捧げもって、迦葉仏と僧侶たちに差し上げました。迦葉仏は私の心からの思いをお知りになって、呪願してからこの布施を受け取り、マンゴーの水を周囲一面に振りかけました。

この幸福によって、寿命が尽きてからはに生まれて、そこで神々のお妃さまとなることができました。世間に下生してからは、人の胎内を経由せずに、九十一劫の間、マンゴーの花の中に生まれました。そのときのわたしは容姿は端正でさっぱりとしており、いつも前世の記憶を持っておりました。そうして今、世尊にお会いすることができ、道の眼を開いていただいたのです。」

  • 㮈:「ダイ(漢音)、ナイ(呉音)」「①果樹名。リンゴの一種」(『漢辞海』)。しかしこの経の後半で㮈女と訳されている人物は、仏典によく出るアンバパーリのことなので、ここからすると「㮈」はambaの翻訳、つまりマンゴーを意味しているようだ。アンバパーリを㮈女と訳す例は 『佛般泥洹經』など他にもある。
  • 長跪:上半身を伸ばしながら(=長)膝を地面につけた姿勢(=跪)を取ること。http://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%C4%B9%EC%EEには『禅林象器箋』に出てくる長跪の定義が引用されている。
  • 心用悲感:用の使い方が特殊である。「心は悲しみをもって感じる」とでも読むのだろうか。
  • 盂:「ウ(漢音)」「水や食物などを盛る器。はち」(『漢辞海』)。『漢辞海』には盂の図がのっている。ボウルぐらいのもの。
  • 捺一枚:マンゴーを一枚と数えることは現代の感覚からすると違和感があるが、ここでは「枚」で数えている。『漢辞海』の「枚」についての解説にも「量詞、物を数える言葉。(薄いものに限らない)」と注意書きがしてあるので、薄い物に限らず用いた量詞であったらしい。確かに「一枚」の用例をSATで見ると杖などを数えるさいにしばしば使っているので、薄い物の他にも枝状のものを数えるさいに使われていたようだ。それがマンゴーなど枝についた果実を数える際に転用されたのかもしれない。
  • 劫:極めて長い時間のこと。「 劫 」を参照。

爾時㮈女。以偈頌曰

三尊慈潤普 慧度無男女
水果施弘報 縁得離衆苦
在世生華中 上則爲
自歸聖衆祐 福田最深厚

比丘尼㮈女。禮已還坐。

そのときマンゴー娘は詩によって次のように言いました。

「三つの尊いもの(仏・法・僧)の慈悲はすべてを潤します。智慧が救う対象には男女の区別はないのです。

みずみずしい果物の布施の広大な報い。これによって多くの苦しみを離れることができました。

世の中にいるときは花の中に生じました。に昇ればそのときは神々のお妃さまでした。

幸多き聖なる人に自ら帰依することが、福徳の田んぼとしてはもっとも深く厚いものなのです。」

比丘尼マンゴー娘は、礼をして座に戻りました。

<第二部>

<マンゴーの木の話>

佛在世時。維耶梨國。國王苑中。自然生一㮈樹。枝葉繁茂。實又加大。既有光色。香美非凡。王寶愛此㮈。自非中宮尊貴美人。不得啖此㮈果。

國中有梵志居士。財富無數。 一國無雙。又聰明博達。才智超群。王重愛之。用爲大臣。王請梵志飯食。食畢以一㮈寶與之。梵志見㮈香美非凡。乃問王曰。此㮈樹下。寧有小栽可得乞不。王曰。大多小栽。吾恐妨其大樹。輒除去之。卿若欲得。今當相與。即以一㮈栽與梵志。

梵志得歸種之。朝夕漑灌。日日長大。枝條茂好。三年生實。光彩大小。如王家㮈。梵志大喜。自念我家資財無數。不減於王。唯無此㮈。以爲不如。 今已得之。爲無減王。即取食之。而大苦澁。了不可食。梵志更大愁惱。乃退思惟當是土無肥潤故耳。乃捉取百牛之乳。以飮一牛。復取此一牛*乳。煎之爲醍醐。以灌㮈根。日日灌之。到至明年。

ブッタがまだ世におられたころの話です。ヴァイシャーリーの国で、国王の庭園の中に、誰が植えたわけでもなく一つのマンゴーの樹が生えました。枝葉は生い茂り、実もまたどんどん大きくなりました。つやつやとした見事な色をしているうえに、香りと味わいが大変優れていました。王は宝のようにこのマンゴーを愛しました。中宮の身分の高い美人でなければこのマンゴーの実を味わうことはできませんでした。

国の中にとある在家のバラモンがいました。彼の財産は数え切れないほどであり、国のなかに並ぶものがいませんでした。また賢く博識で、才知が群を抜いていました。王は重く彼を愛して、雇用して大臣にしました。王はバラモンを食事に招きました。食べ終わると一つのマンゴーを取って彼に与えました。バラモンはマンゴーの香りと味が非凡であることを知って、王に質問していいました。「このマンゴーの樹の下に、小さな苗で私めがちょうだい出来るようなものはありますか?」王は言いました。「たくさん小さな苗がある。わたしは苗がこの大樹を邪魔しないかと心配して、生える度にこれを取り除いている。おまえがもし欲しいのであれば、さあいま与えよう。」すぐに一つのマンゴーの苗をとって梵志に与えました。

バラモンはもらって家に帰るとこれを植えました。朝夕に水を与えると、日に日に大きくなりました。枝はよく茂り、三年して実がなりました。つやの具合や大きさなど、王家のマンゴーとそっくりでした。バラモンはとても喜んで、次のように思いました。「わたしの家の財産は数え切れないほどであり、王さまに引けを取らなかったが、ただこのマンゴーだけが無いので、それで追いつくことができなかった。今やこれを手に入れたから、王さまに劣ることはなくなったぞ!」そしてその場でマンゴーを取って食べたのですが、これがとても苦くて渋い味で、ついに食べることができません。バラモンはこれまでに増して大いに憂い悩みました。

そこで一度下がって考えました。「きっとこれは土に栄養と潤いがないからに違いない」。そこで百匹の牛の乳を取ってきて、これを一匹の牛に飲ませました。そしてさらにこの一匹の牛から乳を取り、それに熱を加えて醍醐(=チーズ)にして、それをマンゴーの根に注ぎました。毎日毎日これを注いで、とうとう次の年になりました。

  • 香美非凡:字句からすれば「香りと美しさ」だが用例を見るとどうも味について言及しているようである。「自然生薄餅。其味甚香美。」(『大樓炭經』)。美味というときなどの「美」の用法であり、見た目の美しさではなく味の良さを表す。
  • 自非中宮尊貴美人:自非は「~にあらざるよりは」と読み「Aでない限りは」という意味を表す。
  • 梵志居士:居士はふつう在家の財産家(ガハパティ)の訳語だが、本文の場合は物語の内容から明らかなように、一人の人間を指している。おそらく在家の資産家でありかつバラモンをしている人物のことを意味しているのであろう。
  • 一國無雙:「一国にならぶもの無し」。国の中に同レベルのものがいないという意味。
  • 醍醐:「だいご」。牛乳を原料にして作るインドの加工品の名前である。厳密に言えばおそらく違うがひとまず「チーズ」と訳した。

實乃甘美。如王家㮈。而㮈樹邊。忽復生一瘤節。大如手拳。日日増長。梵志心念。忽有此瘤節。恐妨其實。適欲斫去。恐復傷樹。連日思惟。遲徊未決。而節中忽生一枝。正指上向。洪直調好高出樹巓。去地七丈。其杪乃分作諸枝。周圍旁出。形如偃蓋。花葉茂好。勝於本樹。梵志怪之。不知枝上當何所有。乃作棧閣。登而視之。見枝上偃蓋之中。乃有池水。既清且香。又有衆華。彩色鮮明。披視華下。有一女兒。在池水中。梵志抱取。歸養長之。名曰㮈女。

すると実は甘美であり、王家のマンゴーのようでした。しかし、マンゴーの樹のはしに突然また一つのこぶが出来ました。大きさは握りこぶしほどで日に日に大きくなります。バラモンは思いました。「突然このこぶができた。もしかするとマンゴーの実を邪魔するかもしれない。すぐに切り取ってしまいたいが、もしかすると樹を傷めてしまうかもしれない。」連日考えましたが、まよって決められませんでした。すると節の中に突然一つの枝が生えました。真上を向いてて、大きく真っ直ぐによく整い、樹の先端は高く飛び出していて、地面から七丈(23m)もの高さになりました。そのこずえが分かれていくつかの枝になり、周囲に寄り添うように生え、形はまるで横にした蓋のようでした。花も葉もよく茂り、もとの樹よりもすぐれていました。バラモンはこれを怪しく思って、枝の上に何があるのだろうと思いました。そこではしごを作り、登ってこれを見てみました。枝の上の横にした蓋のなかには、池があり、清らかであるうえに良い香りがしました。また多くの花があり、その色は鮮やかでした。枝をかき分けて花の下を見ると、一人の女の子供が、池の水の中にいました。バラモンは彼女を抱き取って、家に帰るとマンゴー女という名前をつけて彼女を養いました。

  • 遲徊:ぐずぐず迷っているさま。『漢辞海』には「遅回」、「遅廻」で出ているがだいたい同じ意味である。
  • 洪直:洪は「コウ(漢音)グ・コウ(呉音)」、「名詞① おおみず、洪水」「形容詞① 盛大なさま、おおきい」(『漢辞海』)。「洪直」で「大きく真っ直ぐ」にという意味だろう。
  • 樹巓:巓は「テン」、「名詞① 山頂、いただき」(『漢辞海』)。樹巓で「樹のてっぺん」という意味だろう。
  • 七丈:一丈はだいたい3.3m。したがって七丈は23mほどの高さ。
  • 杪:「ビョウ(漢音)」「名詞① 樹木の末端。こずえ」(『漢辞海』)。
  • 偃蓋:偃は「ふせる、横になる、あおむけに寝る」。偃蓋はベッドなどの上にある傘のことだろうか。あるいは「横向きになった蓋」だろうか。cf. http://www.chinesewords.org/dict/29901-964.html
  • 棧閣:「崖のような切り立った場所に、棚のように板をかけわたして作った道」(『漢辞海』)。棧道、棧径とも書く。
  • 披:「ヒ」「動詞 ①ひらく、手で分けて開く」(『漢辞海』)。

<マンゴー娘の嫁取り>

至年十五。顏色端正。下無雙。宣聞遠國。有七國王。同時倶來。詣梵志所。求娉㮈女。以爲夫人。梵志大恐怖。不知當以與誰。乃於園中。架一高樓。以㮈女著上。出謂諸王曰。此女非我所生。自出於㮈樹之上。亦不知是龍鬼神女耶。鬼魅之物。今七王求之。我設與一王。六王當怒。不敢愛惜也。女今在園中樓上。諸王便自平議。有應得者。便自取去。非我所制也。於是七王口共爭之。紛紜未決。至其夜。瓶沙王。從伏涜中入。登樓就之共宿。明晨當去。㮈女白曰。大王幸枉威尊。接逮於我。今復相捨而去。若其有子。則是王種。當何所付。王曰。若是男兒。當以還我。若是女兒。便以與汝。王則脱手金鐶之印。以付㮈女。以是爲信。便出語群臣言。我已得㮈女與一宿。亦無奇異。故如凡人。故不取耳。瓶沙軍中皆稱萬歳。曰我王已得㮈女。六王聞之便各還去

そして十五歳になりました。彼女の顔かたちは整っていて、下にならぶものがいませんでした。そのうわさは遠国にまで聞こえました。とある七人の国王が同時に連れ立ってやってきて、バラモンのところを尋ねると、マンゴー女を求めて夫人にしようとしました。バラモンは大いに怖がって「誰にあたえるべきか分からない」と思いました。そこで園の中に一つの高い楼閣を立てて、マンゴー女をとどめました。楼閣から出て王様たちに言いました。「この娘は私の生んだものではありません。自然とマンゴーの樹の上に出てきたのです。神々や龍や鬼神の娘かもしれません。こういう不思議なものを、今、七王は求めています。もし私が一人の王様に与えたならば、六人の王様が怒るでしょう。惜しんでいてあげないわけではないのです。娘は今、園の中の楼閣の上にいます。王様たちは自分たちで平等に議論をしてください。誰が得るべきか決まったら、どうぞ自分で持っていてください。わたしが決めることではありません」

こういうことになって、七王は口々にこれを争い求め、紛糾して決着がつきませんでした。夜になると、ビンビサーラ王は小さな水路から中に入り楼閣にると、彼女に近づいて夜をともにしました。明け方になるとそこから去ろうとしました。マンゴー女はビンビサーラ王に申し上げました。「大王は偉い身分であるにも関わらず、わたしをお抱きになりました。そして今またわたしを捨てて出て行こうとしています。もし子供ができたならば、これは王様の種です。どこにあずければいいのでしょうか。」王様は言いました。「もし男の子であったならば、わたしに返しなさい。もし女の子であったならば、それはお前に与えよう」。王は手の金の腕輪の印を外すと、それをマンゴー女に与えて、これによって証としました。そして楼閣から出ると臣下たちに言いました。「わたしはすでにマンゴー女と一晩を過ごしたが、特別なことなどなかった。つまり凡人のようであり、だからめとることもしなかったのだ!」ビンビサーラ軍の中では皆「万歳!」をとなえて「我々の王がマンゴー女を得た!」と言いました。六王はこれを聞くと、それぞれ帰っていきました。

  • 樓:「ロウ(漢音)ル(呉音)」。意味は楼に同じ。小篆の形からすると、樓のほうが近い。
  • 伏涜:涜は「トク」、「小さな水路、みぞ」。
  • 幸枉威尊:「偉い身分を幸いにもまげていただいた」と理解した。
  • 瓶沙王:釈尊がいたころのマガダ国の王さま。「 ビンビサーラ王 」。

<ジーヴァカの誕生>

瓶沙王去後。遂便有娠。時㮈女勅守門人言。若有求見我者。當語言我病。後日月滿生一男兒。顏貌端正。兒生則手持針藥嚢。梵志曰。此國王之子。而執醫器。必醫王也。時㮈女即以白衣裹兒。勅婢持棄著巷中。婢即受勅。抱往棄之。時王子無畏。清旦乘車。往欲見大王。遣人除屏道路。時王子遙見道中有白物。即住車問傍人言。此白物是何等。答言。此是小兒。問言。死活。答言。故活。王子勅人抱取。即覓乳母養之以活。梵志將此小兒。還付㮈女。名曰祇域。

ビンビサーラ王が去ったあとで、とうとう妊娠がありました。そのときマンゴー女は門番に言いました。「もし私に会いたいという人がいたら、わたしは病気だと言いなさい」。その後、月日が満ちて、一人の顔かたちの整った男の子が生まれました。子供は生まれたときに手に針と薬袋を持っていました。バラモンは言いました。「これは国王の子供で、しかも手には医療器具を持っている。きっと医王になるに違いない」。そのときマンゴー女は白い衣で子供をくるむと、召使いの女に市街に捨ててくるようにと命令しました。召使いの女は命令を受けて、抱いて行き子供を捨てました。

さてそのとき王子の無畏が、朝早くに車にのって、大王さまに会いに行こうとしていました。人をやって道を開けさせると、そのとき王子は遠くに、道の中に白い物があるのを見ました。すぐに車を止めてそばの人に聞きました。「この白い物はなんだ?」答えて言いました。「これは小さい子供です。」質問しました。「死んでいるのか、生きているのか?」答えて言いました。「弱っていますが生きています。」王子は人に命令して抱き取らせると、すぐに乳母を探し求めて、赤ん坊に栄養を与えて命を助けました。バラモンはこの子供を引き取ると、マンゴー女に返して与え、ジーヴァカと名付けました。

  • 故活:物語の内容から考えて「かろうじて生きている」ほどの意味らしい。「故」には「古い、おとろえる」という意味があるので、「おとろえながら生きている」「衰弱しているが生きている」ということなのだろうか。
  • 無畏:王子の名前。
  • 名曰祇域:なぜこの展開でジーヴァカと名付けたのかというと、jīvaが「生命」という意味、またjīvatiが「生きる」という意味なので、「死なずに生きていた」からジーヴァカと名付けたのであろう。

<ジーヴァカ8歳>

至年八歳。聰明高才。學問書疏越殊倫匹。與隣比小兒遊戲心常輕諸小兒。以不如己。諸小兒共罵之曰。無父之子。婬女所生。何敢輕我。祇域愕然。默而不答。便歸問母曰。我視子曹。皆不如我。而反罵我言。無父之子。我父今者爲在何許。母曰。汝父者正瓶沙王是也。祇域曰。瓶沙王乃在羅閲祇國。去此五百里。何縁生我。若如母言。何以證之。母則出印鐶示之曰。此則汝父鐶也。祇域省之。見有瓶沙王印文。便奉持此鐶。往到羅閲祇。徑入宮門。門無訶者。即到王前。爲王作禮。長跪白王言。我是王子。㮈女所生。今年八歳。始知是大王種類。故持鐶印信。遠來歸家。王見印文。覺憶昔之誓。知是其子。愴然矜之。以爲太子。

年齢が八歳になりました。聡明で才能があり、学問と読み書きは仲間たちから抜きんでていました。ジーヴァカは近所の子供たちと遊ぶときには、いつもこの子供たちを侮って、自分より下だと思っていました。子供たちは彼を罵って言いました。「父なし子!ふしだらな女が母親なのに、どうして僕をバカにできるの?」ジーヴァカは愕然として、言葉を失い、答えることができませんでした。そこで帰って母親に質問しました。「僕は子供たちを観察していました。みんな僕には及びません。それなのにかえって僕を罵って言うのです。『父なし子!』と。僕のお父さんはいまどこにいるのですか」。母は言いました。「お前のお父さんはあのビンビサーラ王なのです」。ジーヴァカは言いました。「ビンビサーラ王ならばラージャグリハ国にいます。ここから五百里も離れています。どうして僕を生むでしょうか。もしお母さんの言う通りなら、何か証拠はあるのですか」。母は印の付いた腕輪をジーヴァカに示して言いました。「これがお前のお父さんの腕輪だよ」。ジーヴァカはこれをよく見てみると、ビンビサーラ王のマークがあるのを見つけました。そこでこの腕輪を大事に持って、ラージャグリハに行き、宮殿の門に入りましたが、門では誰もいさめませんでした。そしてすぐに王の前に至りました。ジーヴァカは王さまに礼をすると跪いて、王に申し上げました。「私は王子です。マンゴー女によって産み落とされ、今年で八歳になりました。初めて大王の血族だと知って、そのために腕輪の印を持って遠くから家に帰ってきたのです。」王は印を見て、昔の誓いを思い出し、これは自分の子だと知り、悲しみ彼をあわれんで、ジーヴァカを太子としました。

  • 隣比:この二字で「お隣さん」。ex. 「時世飢儉。以其父母。生埋地中。養活兒子。隣比問言。汝父母爲何所在。」(『雜寶藏經』)
  • 愴然:愴は「ソウ」「悲しむ、いたむ」(『漢辞海』)。
  • 矜:「キョウ(漢音)コウ(呉音)キン(慣用音)」「動詞 ①いたいたしく思って同情する、あわれむ。②配慮する、おしむ。③つつしむ。④重視する。⑤自負する、誇る」。現代語で「矜持」というときは「誇る」という意味だが、「同情する」という意味も漢文では出てくるので注意がいる。

<ジーヴァカ、医道を志す (10歳)>

渉歴二年。後阿闍世王生。祇域因白王曰。我初生時。手把針藥嚢。是應當爲醫也。王雖以我爲太子。非我所樂。王今自有嫡子生矣。應襲尊嗣。我願得行學醫術。王則聽之。王曰。汝不爲太子者。不得空食王祿。應學醫道。王即命勅國中諸上手醫。盡術教之。而祇域但行嬉戲。未曾受學。諸師責謂之曰。醫術鄙陋。誠非太子至尊所宜當學。然大王之命。不可違廢。受勅已來。積有日月。而太子初不受半言之方。

それから二年ののち、アジャセ王が生まれました。これをきっかけにジーヴァカは王さまに申し上げました。「わたしが生まれたばかりのとき、手には針と薬袋を持っていました。これはきっと医者になるべきだということです。王さまはわたしを太子にしてくださいましたが、わたしの願うところではありません。王さまは今や自ら嫡子が生まれました。ぜひとも尊い一族を継がせるべきでしょう。わたしにどうか医術を学ぶことを許していただけませんか」。王さまはこれを許しました。王は言いました。「お前が太子にならなならば、むなしく王の禄を食むことなく、ぜひ医道を学ぶべきだ」。王さまはすぐに国中の上手な医者たちに命じて、すべての技術をジーヴァカに教えさせました。しかし、ジーヴァカはただ遊ぶばかりで、一度たりとも指導を受けません。先生たちは責めて彼に言いました。「医術はいやしいのです。まことに太子さまのような極めて尊いお方が学ぶべきものではありません」。しかし大王は彼らに命じて指導を止めることを許しませんでした。勅命を受けてから月日がだいぶ経ちましたが、しかし、太子ははじめは半分の言葉の方法を受けませんでした。

  • 半言之方:文脈から考えると「中途半端な教え」という意味だろうか。ジーヴァカの知識に対して医者たちの知識はレベルが低かった。

若王問我。我何以對。祇域曰。我生而有醫證在手。故白大王。捐棄榮號求學醫術。豈復懈怠煩師督促。直以諸師之道無足學者故耳。便取本草藥方針脈諸經。具難問師。師窮無以答。皆下爲祇域作禮。長跪叉手曰。今日益知太子神聖實非我等所及也。向所問諸事。皆是我師歴世疑義。所不能通。願太子具悉説之。開解我曹生年之結。祇域便爲解説其義。諸醫歡喜。皆更起。 頭面作禮、承受其法

(医者たちは言いました)「もし王さまがわたしに質問したら、わたしは何と答えたものだろうか」。ジーヴァカは言いました。「わたしは生まれたときに、医の証が手に有った。だから大王に申し上げて、栄誉を捨てて医術を学ぶことを求めたのだ。どうしてまた怠けて、先生たちをわずらわして督促させるだろうか。ただ先生たちの道が、学ぶにたらないというだけのことだ」。そう言うと薬草の知識・薬の調合・脈に針をさすことなどについて、細かく先生たちに質問をあびせました。先生たちは答えに詰まって、答えられる人はいませんでした。みな、一段下がってジーヴァカのために礼をすると、跪いて手を交叉し、言いました。「今日、太子さまが神聖でわたしたちの及ぶところではないということをますます知りました。さきに質問されたいろいろな事は、どれも私たちの師が長年にわたって疑問に思い、それでも解決できなかったことです。どうか太子よ、つぶさにこれを説いて、わたしたちの生まれたとき以来のもやもやを、解きほぐしてくださいませ」。ジーヴァカはこれを聞いて彼らにその義を解説しました。医者たちは大喜びしてみな起き上がると、頭を地面につけて礼をして、その教えを大切に受け取りました。

  • 本草藥方針脈諸經:「本草と薬方と針脈のもろもろの経典」という意味。ここにある「経」の字は「経絡、血脈」を意味する可能性もあるが、本文に「本草經説有藥王樹(薬草学の経典に薬王樹があると述べていた)」という文章があとで出てくるので、この「経」は「経典」を意味すると考えた。

<ジーヴァカ、ピンガラの下で修行する (10歳~17歳)>

爾時祇域即自念言。王勅諸醫。都無可學者。誰當教我學醫道。時聞彼徳叉尸羅國。有醫姓阿提梨。字賓迦羅。極善醫道。彼能教我。爾時祇域童子。即往彼國。詣賓迦羅所白言。大師我今請仁者。以爲師範。從學醫術。經七年已。自念言。我今習學醫術。何當有已。即往師所白言。我今習學醫術。何當有已。時師即與一籠器及掘草之具。汝可於徳叉尸羅國面一由旬。求覓諸草。有非是藥者持來。時祇域即如師勅。於徳叉尸羅國面一由旬。求覓非是藥者。周竟不得非是藥者。所見草木一切物善能分別。知有所用處無非藥者。彼即空還。往師所白如是言。師今當知我於徳叉尸羅國。求非藥草者。面一由旬。周竟不見非藥者。所見草木盡能分別所入用處。師答祇域言。汝今可去。醫道已成。我於閻浮提中。最爲第一。我若死後。次復有汝。於是祇域便行治病所治輒愈。國内知名。

そのときジーヴァカはその場でひとり思いました。「王さまは医者たちに命令したが、全く学ぶべきものはいなかった。誰がわたしに医道を教えるにふさわしいだろうか。いつだったか、あのタキシラ国に、姓は阿提梨(アディリ?)、名はピンガラという医者がいて、極めて医道をよくしているということを聞いた。彼はわたしを教えることができるだろう」。

そのときジーヴァカ童子はすぐにその国に行き、ピンガラのところを訪れると申し上げて言いました。「大先生。私は今あなたさまにお願いします。どうか師範となってください」。ジーヴァカはピンガラにしたがって医術を学び、七年の時が経ちました。ジーヴァカはひとり思いました。「わたしは今医術を学んでいるが、はて、この学びに終わりはあるのだろうか。」すぐに先生のところに行き申し上げて言いました。「わたしは今、医術を学んでいますがさて終わりはあるのでしょうか」。そのとき先生はすぐに一つの籠と草を掘り出す道具を与えました。「お前はタキシラ国の範囲1ヨージャナのなかで、色々な草を探し求めて、もし薬でないものがあったならば、それを持ってくるがよい。」そのときジーヴァカは先生の指令通りに、タキシラ国の範囲1ヨージャナの中で薬ではないものを探し求めましたが、ぐるりと巡り終わっても薬ではないものは得られませんでした。見つけた草木はどれも種類が分かり、その使いどころを知っていたので、薬にならないものが無かったのです。彼はすぐにむなしく帰り、先生のところに行ってこのように申し上げました。「先生。わたしはタキシラ国で薬草ではないものを求め、範囲1ヨージャナを巡り終わりましたが、薬ではないものは見つかりませんでした。見つけた草木はどれも用途が分かったのです。」先生はジーヴァカに答えていいました。「お前はもうここから立ち去ってもよい。医道はすでに完成した。わたしはインドで一番の医者だが、わたしがもし死んだならば次はお前が一番だ。」こういうわけで、ジーヴァカは病人のところに治療に行きました。治療すれば必ず回復したので、国のなかに名前が知れ渡りました。

  • 徳叉尸羅國:タクシャシラ国(タキシラ国)のこと。現在のパキスタンのパンジャーブ州あたりらしい。
  • 賓迦羅:ピンガラ。仏典ではわりとよくある名前。
  • 仁者:相手を敬っているときに用いる二人称の呼びかけ。あなたさま。
  • 閻浮提:ジャンプ樹の生える土地という意味で、おおよそインド亜大陸のことを表す。Cf. 「 四部州 」

<薬王樹の話>

後欲入宮。於宮門前。逢一小兒擔樵。祇域望視悉見此兒五藏腸胃。縷悉分明。祇域心念。本草經説有藥王樹。從外照内見人腹臟。此兒樵中得無有藥王耶。即往問兒。賣樵幾錢。兒白十錢。便雇錢取樵。下樵置地。闇冥不見腹中。祇域更心思惟。不知束中何所爲是藥王。便解兩束。一一取之。以著小兒腹上。無所照見。輒復更取。如是盡兩束樵。最後有一小枝。栽長尺餘。試取以照。具見腹内。祇域大喜。知此小枝定是藥王。悉還兒樵。兒既已得錢。樵又如故。歡喜而去

のちに宮殿に入ろうとしたときのことです。宮殿の門の前に一人の小さな子供がまきを背負っているのを見かけました。ジーヴァカは遠くから見ていたのですが、この子供の五臓と腸と胃が子細にはっきりと見えました。ジーヴァカは思いました。「薬草学の経典に『外から内部を照らして人の腹の臓器を見ることができる薬王樹というものがある』と述べてあった。この子供のまきの中に、薬王樹がきっとあるのではないか?」すぐに近づいて子供に質問しました。「まきを売っているが、いくらだい」。子供は申し上げました。「十銭です」。それを聞くと銭を渡してまきを買い取りました。(子供が)まきを下ろして地面に置くと、暗くなってお腹の中が見えなくなりました。ジーヴァカはそこで思いました。「束のなかのどれが薬王か分からないぞ。」そこで二つの束をほどくと、一つ一つ取って、それを子供のお腹の上に置きました。照らして中が見えなければそれをまた取りました。このようにして二つのまきの束をすべてチェックすると、最後に一つの小枝がありました。切り取られた長さは一尺ほどです。試しにこれを取ると照らしはじめ、くわしくお腹の中が見えました。ジーヴァカは大喜びして「この小枝が薬王に違いない」と知りました。ジーヴァカは他のまきをすべて子供に返しました。子供は銭を得たうえに、まきも元のままだったので、大喜びして立ち去りました。

  • 得無有藥王耶:「薬王あるなきを得るや?」と訓読出来るので「薬王があるはずがない、ということがありえるだろうか?」という意味。つまり「薬王がきっとあるだろう」ぐらいの疑問であると考えた。薬王樹はレントゲンみたいな不思議な樹である。
  • 雇錢:雇うという字が「銭を相手に渡す」という意味で使われている。この用法古い中国語ではしばしば見られる。
  • 更心思惟:「更に心で思惟した」。ここの「更に」は「前の状況に加えて、ますます」という意味ではなく、「前の状況をうけて、そこで」という意味で使われている。更という字は「引きずる」というような意味の漢字なので、このような使い方も不自然ではない。この場合は「便」とほぼ同じ。
  • 栽長:栽は「サイ(漢音・呉音)」「①木を植える②移植可能な若い苗」(『漢辞海』)。しかし、この場合はどちらの意味もあまりしっくり来ない。状況から考えて切り取られた枝の話をしているので、「木材が切り取られた長さ」の意味で理解した。パラレルの『佛説柰女耆婆經』では「裁長」と書かれている。
  • 外部から照らして内臓を見るので、現代で言うところのレントゲン技術である。

<ジーヴァカ、頭痛を治す>

爾時祇域自念。我今先當治誰。此國既小。又在邊方。我今寧可還本國始開醫道。於即還歸婆迦陀城。婆迦陀城中。有大長者。其婦十二年中常患頭痛。衆醫治之而不能差。時祇域聞之即往其家語守門人言。白汝長者。有醫在門外。時守門人即入白門外有醫。長者婦問言。醫形貌何似。答言。是年少。彼自念言。老宿諸醫治亦不差。況復年少。即勅守門人。語言我今不須醫。守門人即出語言。我已爲汝白長者。長者婦言。今不須醫。祇域復言。汝可白汝長者婦。但聽我治。若差者隨意與我物。時守門人復白之。醫作如是言。但聽我治。若差隨意與我物。長者婦聞已。自念言。若如是無所損。勅守門人喚入。

そのときジーヴァカはひとり思いました。「わたしはまず誰から治療するべきだろうか。この国は小さいうえに、そのうえ辺境にある。わたしは今はむしろ本国に帰って医者の道を始めるべきだろう。」そこでヴァガダ城に帰りました。ヴァガダ城にはとある大金持ちがいて、その妻は十二年のあいだいつも頭痛に悩まされていました。多くの医者が彼女を治療しましたが、回復させることはできませんでした。さてジーヴァカはこれを聞いて、すぐにその家におもむくと、門番に語っていいました。「お前の主人に『門の外に医者がいる』と申し上げてくれ。」そこで門番はすぐに屋敷の中に入って申し上げました。「門の外に医者がいます」。長者の妻は質問しました。「医者の姿形はどんなか?」答えて言いました。「年若いです。」彼女はひとり思いました。「年取った医者たちが治療しても回復しなかった。ましてや年若いならなおさらだろう。」すぐに門番に命じました。「わたしは今医者を必要としていないと言ってきなさい」。門番はすぐに屋敷から出ると、言いました。「わたしはあなたのために長者に申し上げましたが、長者の奥様は『今は医者は必要としていない』とおっしゃりました。」ジーヴァカはまた言いました。「あなたはこのように長者の奥様に申し上げるといいでしょう。ただわたしに治療を許してください。もし回復したならば随意にわたしに物を与えてください、と。」そこで門番はまたこれを申し上げました。「医者はこのように言っています。『ただわたしに治療を許してください。もし回復したならば随意にわたしに物を与えてください』と。」長者の妻は聞き終わって、ひとり思いました。「もしそのような条件ならば、損はしない。」門番に命じてジーヴァカを呼び入れさせました。

  • 於即還歸:ふつうなら「於是即還」となりそうなものだが是の字が落ちている。於だけで「於是」の意味を表すことがあったのかもしれないが、単なる脱字の可能性も高い。この経典はそこまで四字句へのこだわりがないが、四字句にするために「是」を削った可能性もあるだろう。『四分律』のパラレルの箇所では「我今寧可還本國始開醫道。於是即還歸婆伽陀城。」と「是」を書いている。
  • 婆迦陀城:音写語なのでヴァガダ城とカタカナで翻訳した。あるいはバガダ城としたほうがいいかもしれない。このサイトの音写語はあまり厳密に検討しないで行っているので厳密にしたい場合は何か学術的な書物を参考にしてほしい。
  • 彼自念言:この「彼」は長者の妻のことなので、現代語では「彼女」と翻訳される。古い漢語では「彼」は男性に限らず用いられる代名詞である。

時祇域入詣長者婦所。問言。何所患苦。答言。患如是如是。復問。病從何起。答言。從如是如是起。復問。病來久近。答言。病如許時。彼問已語言。我能治汝。彼即取好藥。以酥煎之。灌長者婦鼻。病者口中酥唾倶出。時病人即器承之。酥便收取。唾別棄之。時祇域見已。心懷愁惱。如是少酥不淨。猶尚慳惜。況能報我。病者見已。問祇域言。汝愁惱耶。答言實爾。問言。何故愁惱。答言。我自念言。此少酥不淨。猶尚慳惜。況能報我。以是故愁耳。長者婦答言。爲家不易。棄之何益。可用燃燈。是故收取。汝但治病。何憂如是。彼即治之。後病得差。時長者婦。與四十萬兩金。并奴婢車馬。

さて、ジーヴァカは屋敷に入ると長者の妻のところを訪れて質問しました。「どこが苦しいですか」。答えて言いました。「こんなふうに苦しいです」。また質問しました。「病気はどこから始まりましたか」。答えていいました。「このように始まりました」。また質問しました。「病気はこれまでどれくらい続いていますか。」答えて言いました。「病気はこれぐらい続いています。」彼は質問し終わって、語っていいました。「わたしはあなたを治すことができます。」彼はすぐによい薬を取ってくると、バターによってこれを煮込んで、長者の妻の鼻にそそぎました。患者は口の中のバターとつばを一緒に出しました。すると患者はすぐに器でこれを受けとめて、バターはおさめとり、つばは取り分けて捨てました。それを見てジーヴァカは内心、思い悩みました。「このように、不潔でわずかばかりのバターですら、なお物惜しみしている。ましてやわたしに報酬を与えることができるのだろうか。」患者はその様子を見てジーヴァカに質問しました。「あなたは思い悩んでいるのですか」。答えていいました。「ええ、そうです。」「なぜ思い悩んでいるのですか。」答えて言いました。「わたしはひとり思ったのです。『この不潔でわずかばかりのバターですら、なお物惜しみしている。ましてやわたしに報酬を与えることができるのだろうか』と。これによって悩んでいるだけです。」長者の妻は答えて言いました。「家のために軽視しないようにしています。これを捨てて何の利益があるでしょうか。灯の燃料に使うことができるので、とっておいたのです。あなたはただ病気を治してください。このようなことは心配することはありません。」彼はすぐに彼女を治療しました。そして回復することができました。そのとき長者の妻は四十万両の金と奴隷、車、馬をジーヴァカに与えました。

  • 病來久近:「病の来たるは久か近か。」
  • 酥:「ソ(漢音)(呉音)」「牛や羊の乳汁から取った脂肪。バター」(『漢辞海』)。厳密に言えば現代のバターとは異なると思われるが、ひとまずバターと翻訳した。油なので灯火の燃料にも用いた。これを「酥灯」という。
  • 不易:易は「イ」と読むと「かろんじる」、「エキ」と読むと「交換する」(『漢辞海』)。本文は「バターであっても軽視しない」という意味で理解した。
  • 四十萬兩金:次の治療でもジーヴァカの受けた報酬は四十萬兩金だったので、何か意味のある数字なのかも知れない。
  • 長年続く頭痛に対して、鼻の洗浄を行っている。これはもしかすると鼻炎が原因で頭痛が起きていてそれを治したのかもしれない。鼻腔に膿がたまると慢性的な頭痛を引き起こすので、現代の鼻炎治療でも鼻の中に生理食塩水を注いで洗浄し、膿を取る治療が行われる(筆者は鼻炎持ちなので実際に耳鼻科で経験したことがある)。

時祇域得此物已。還王舍城。詣無畏王子門。語守門人言。汝往白王言。祇域在外。守門人即入白王。王勅守門人喚入祇域入已前頭面禮已。在一面住。以前因縁。具白無畏王子言。以今所得物。盡用上王。王子言。且止不須。便爲供養已。汝自用之。此是祇域最初治病

さてジーヴァカはこの物を手に入れると王舎城に帰りました。無畏王子の門を訪ねると門番に語って言いました。「お前は行って王に申し上げなさい。『ジーヴァカが外にいる』と。」門番はすぐに中に入ると王に申し上げました。王は門番に命じてジーヴァカを呼び入れました。中に入るとジーヴァカは前に進み、頭を地面につけて礼をして、一箇所にとどまりました。そしてこれまでの経緯をつぶさに無畏王子に申し上げ、今手に入れたものをすべて王さまに献上しました。王子は言いました。「やめなさい。必要ありません。これで供養が終わりました。(以降は)あなたが自分でこれを使いなさい。」これがジーヴァカの最初の病気治療でした。

  • 便爲供養已:いまいち意味の分からない言葉である。次の段でピンガラも同じ発言をしている。ピンガラのところを参考にする限り、無畏王子もどうやら今回の分はもらったらしい。
  • 此是祇域最初治病:「これがジーヴァカの最初の病気治療でした」と書いてあるが、タキシラ国のところで「治療に行けば必ず病を治し、その名は国中に聞こえた」とあるのと矛盾する。色々な物語を寄せ集めて一つの経典ができあがっているので、前後で矛盾してしまったのだろう。ちなみに「四分律」のパラレルではタキシラ国で治療をしたという記述がないので、ここに矛盾は生じていない。

<ジーヴァカ、腸のからまりを治す>

爾時拘睒彌國。有長者子。輪上嬉戲。腸結腹内。食飮不消。亦不得出。彼國無能治者。彼聞摩竭國有大醫善能治病。即遣使白王。拘睒彌長者子病。祇域能治。願王遣來。時瓶沙王。喚祇域問言。拘睒彌長者子病。汝能治不。答言能。若能汝可往治之。時祇域乘車。詣拘睒彌。祇域始至。長者子已死。伎樂送出。祇域聞聲即問言。此是何等伎樂鼓聲。傍人答言。是汝所爲來長者子已死。是彼伎樂音聲。祇域善能分別一切音聲。即言語使迴還。此非死人。語已即便迴還。時祇域即下車。取利刀破腹。披腸結處。示其父母諸親語言。此是輪上嬉戲。使腸結如是。食飮不消。非是死也。即爲解腹。還復本處。縫皮肉合。以好藥塗之。瘡即愈毛還生。與無瘡處不異。時長者子。即報祇域四十萬兩金。婦亦與四十萬兩金。長者父母亦爾。各與四十萬兩金。祇域念言。夫爲師者須報其恩。今持一百六十萬兩金。與徳叉尸羅國大師賓迦羅。念已持金詣師所。頭面禮師足。奉上此金。唯願大師。哀愍納受。師曰。便爲供養已。我不須此寶。祇域慇懃至到。賓迦羅乃受此金。祇域奉辭禮足而去

そのときコーサンビー国には長者の子供がいて、輪っかの上で遊んでいました。すると、腸が腹の中で結び目をつくってしまって、食べたり飲んだりしたものが消化できず、また外に出すこともできませんでしたが、その国には治すことができるものがいませんでした。その長者はマガダ国に大医がいて、よく病気を治すことができると聞き、すぐに使いを派遣して王に申し上げました。「コーサンビーの長者の子供の病気を、ジーヴァカは治すことができます。どうか王さま、派遣して我が国に来させてくださいませ。」さてビンビサーラ王はジーヴァカを呼んで質問しました。「コーサンビーの長者の子供の病気を、お前は治すことができるか?」答えて言いました。「できます。」「もしできるならば、行ってこれを治すがよい。」そしてジーヴァカは車に乗って、コーサンビーを訪れました。

ジーヴァカが到着したとき、長者の子供は既に死んで、(葬列の)楽隊がこれを送り出していました。ジーヴァカはその音を聞いてすぐに質問して言いました。「これは何の楽隊の太鼓の音か?」そばにいた人は答えて言いました。「これはあなたが治療するために来た、長者の子供がすでに死んだのです。これは彼の(葬列の)楽隊の音です」。ジーヴァカはすべての音をよく聞き分けることができました。すぐに車の御者に言いました。「すぐに車を戻させなさい。あれは死人ではない」。言ってすぐにもとの所に戻りました。そのときジーヴァカはすぐに車から降りると、するどい刀を取って腹を割き、腸をかき分けて、結び目になったところをその父母と親族たちに示して言いました。「これは輪っかの上で遊んでいて、腸をこのように結ばせてしまい、食べたり飲んだりしたものを消化しなくなってしまったのだ。死でいるのではない。」そしてすぐに腹をほどいて元のように復元し、皮と肉を縫い合わせて、よい薬をこれに塗りました。きずあとはすぐに癒えて、毛が元通り生え、きずあとが無い場所とほとんど同じになりました。そのとき長者の子供はすぐにジーヴァカに四十万両の金を報酬として与えました。妻もまた四十万両の金を与えました。長者の両親もまた同じようにして、それぞれが四十万両の金を与えました。ジーヴァカは思いました。「先生と言うものは、ぜひとも恩に報いるべきものだ。今この160万両の金を持って、タキシラ国のピンガラ大先生にあげよう。」考えおわると、金を持って先生のところを訪れました。頭を地面につけて先生の足に礼をすると、この金を差し上げました。「ああ、どうか大先生、わたしのことを思って、これをお納めください」。先生は言いました。「これで供養が終わった。わたしはこの宝を必要としない。」ジーヴァカは慇懃に近づいて、ピンガラはこの金を受け取りました。ジーヴァカはお別れの言葉を申し上げて、足に礼をすると立ち去りました。

  • 拘睒彌國: インドにあった国の名前。「 コーサンビー 」を参照のこと。
  • 祇域始至:この「始」はどう訳すべきだろか。「やっと到着した」「到着したばかり」「到着したときには」
  • 開腹手術をしてそのあと縫合をし、化膿をふせぐために薬を塗っていたことが分かる。

<ジーヴァカ、脳外科手術をする>

爾時國中有迦羅越家女年十五臨當嫁日。忽頭痛而死。祇域聞之往至其家。問女父曰。此女常有何病。乃致夭亡。父曰。女小有頭痛。日月増甚。今朝發作。尤甚於常。以致絶命。祇域便進以藥王照視頭中。見有刺蟲。大小相生乃數百枚。鑚食其腦。腦盡故死。便以金刀披破其頭。悉出諸蟲。封著甖中。以三種神膏塗瘡。一種者補蟲所食骨間之瘡。一種生腦。一種治外刀瘡。告女父曰。好令安靜。愼莫使驚。十日當愈平復如故。到其日我當復來。

そのとき国の中にとあるカラエツ家の女がいました。年は十五歳で、まさに嫁入りの日になって、突然、頭が痛み、死んでしまいました。ジーヴァカはこれを聞いてその家を訪ねると、娘の父親に質問しました。「この娘はいつもどんな病気を持っていて、そして若くして死ぬに至ったのか。」父親は言いました。「娘は小さいころから頭痛持ちで、月日が経つと段々激しくなっていきました。今朝、発作を起こしたのですが、いつもより非常に激しくて、それで死んでしまったのです」。ジーヴァカはこれを聞いて前に出ると、薬王樹を使って頭の中を照らして見てみました。すると、刺し虫がいるのが見えました。大小さまざまに生じていて、数百匹おり、彼女の脳に穴を開けて食べていました。脳はことごとく衰えて死んでいました。そこで金の刀でその頭を開くと、虫たちをすべて出して、かめの中に封じ込めると、三種類のすばらしいぬり薬をきずあとに塗りました。一つ目は捕まえた虫が食べていた頭蓋骨の間のきずあとに塗り、二つ目は虫が生じていた脳に塗り、三つ目は外の刀のきずあとを治すのに塗りました。娘の父親に告げていいました。「よく安静にさせて、びっくりさせるようなことがないように気をつけなさい。十日で治って、もとのように回復するだろう。その日が来ればわたしはまたここに来る」。

  • 今朝發作:現代で使う「発作」のような使い方がすでに行われている。
  • 尤:「ユウ(漢音)ウ(呉音)」「とりわけ、一層、もっとも」(『漢辞海』)。基本的に「もっとも」と訓読する。
  • 大小相生乃數百枚:虫を数えるのに枚を用いている。枚は色々な数の量詞に使われるが、現代語と同じ「薄いもの」のほかに、「リンゴの枝」や「いも虫」のように細長く枝状のものを数えることも多いようだ。
  • 鑚食:鑚は「サン(漢音・呉音)」「きりもみをして穴をあける」(『漢辞海』)。
  • 甖:「オウ(漢音)」「酒を入れる容器で、口部は小さく腹は大きい。かめ、もたい」(『漢辞海』)。「かめ」というとかなり大きいものを想像してしまうが、虫を閉じ込めるのに使うのであるから、上から蓋をして虫を閉じ込めていられるような容器で、かつそこまで大きくないもののようだ。

祇域適去。女母便更啼哭曰。我子爲再死也。豈有*披破頭腦當復活者。父何忍使人取子那爾。父止之曰。祇域生而把針藥。棄尊榮位。行作醫師。但爲一切命。此乃之醫王。豈當妄耶。囑語汝言。愼莫使驚。而汝今反啼哭。以驚動之。將令此兒不復得生。母聞父言。止不復哭。共養護之。寂靜七日。七日晨明女便吐氣而寤。如從臥覺。曰我今者了不復頭痛。身體皆安。誰護我者。使得如是。父曰。汝前已死。醫王祇域故來護汝。破頭出蟲以得更生。便開甖出蟲示之。女見太便驚怖。深自慶幸。祇域神乃如是。我促得報其恩。父曰。祇域與我期言。今日當來。於是須臾祇域便來。女歡喜出門迎。頭面作禮。長跪叉手曰。願爲祇域作婢。終身供養以報更生之恩。祇域曰。我爲醫師。周行治病。居無常處。何用婢爲。汝必欲報恩者。與我五百兩金。我亦不用此金。所以求者。凡人學道法當謝師。師雖無以教我。我嘗爲弟子。今得汝金。當以與之。女便奉五百兩金。以上祇域。祇域受以與師。因白王。暫歸省母。到維耶梨國

ジーヴァカは立ち去りました。すると娘の母親はさらに声をあげて泣きました。「私の子はまた死ぬことになった!どうして頭を開いて、また生き返るものがいるでしょうか。お父さん、どうして人に我が子を取らせて、このようにさせたのよ!」父親はこれを止めて言いました。「ジーヴァカは生まれたとき針と薬を手につかんでいて、栄誉ある地位を捨てて、ただすべての命のために医師となった人だ。彼はの医王である。どうして嘘つきだろうか。ジーヴァカはお前に言葉を託して、『びっくりさせるようなことがないように気をつけなさい』と言った。それなのにお前はいま、かえって大声で泣いて、それで娘をびっくりさせて、この子が生き返らないようにしているじゃないか」。母親は父親の言葉を聞いて、泣き止み二度と大声で泣くことをしませんでした。二人で一緒に娘を看護して、安静にして七日経ちました。七日目の明け方、そこで娘は息を吐いて、目を覚ましました。まるで眠りから覚めただけのようでした。そして言いました。「わたしは今はすっかり頭が痛くないわ。体も安らかなの。誰が私を守ってくれて、こんなふうにしてくれたの?」父親は言いました。「お前は一度すでに死んでいたんだ。医者の王さまのジーヴァカがわざわざ来てくださってお前を守ったのだ。頭を破って虫を出して、それで生きながらえさせてくれたのだ」。そう言うと、かめを開いて虫を出して娘に見せました。娘はそれを見て大変びっくりし、深く自分の幸福をよろこびました。「ジーヴァカの神技とはこのようなものなのですね。わたしははやくこの恩に報いたいです。」父親は言いました。「ジーヴァカは私に約束した。今日来るはずだ。」さてそこで、ジーヴァカがやってきました。娘は大喜びして門から出て迎えました。頭を地面につけて礼をすると、跪いて手を交叉して言いました。「どうかジーヴァカさま、わたしを召使いにしてください。この身が終わるまで供養して、生きながらえさせてくださった恩に報いたいと思います。」ジーヴァカは言いました。「わたしは医者だ。あちこちに行って病気を治す。住処はあてどない。召使いが何の役に立つだろうか。あなたが必ずや恩に報いたいならば、私に五百両の金を与えなさい。とはいえ、わたしはこの金を使わない。それでも求めた理由は、およそ道を学ぶものは先生に感謝するべきだからだ。先生がわたしに教えることが無くなったといっても、わたしはかつて弟子だった。今あなたのお金を得たならば、それを先生に与えるつもりだ。」これを聞いて娘は五百両の金を大切に持つと、それをジーヴァカに差しあげました。ジーヴァカは受け取ると、それを先生に渡しました。この経緯を王さまに申し上げると、しばらく母のもとに帰省して、ヴァイシャーリー国に至りました。

  • 那爾:「このようにする、そのようにする」と理解した。ほとんど見ない表現だが、かなり口語的な言い回しではないかと思う。
  • 十日・七日:「十日目に会いに来る」と約束したはずなのに、あとの部分では七日目に会いに来ることになっている。十と七は字が似ているので、あるいは誤植が起きて、このような混乱が生じたか。

<ジーヴァカ、落馬者を助ける>

爾時國中復有迦羅越家男兒。好學武事。作一木馬。高七尺餘。日日學習。騙上初學。適得上馬。久久益習。忽過去失據。落地而死。

祇域聞之。便往以藥王照視腹中見其肝。反戻向後。氣結不通故死。復以金刀破腹。手探料理。還肝向前。畢以三種神膏塗之。其一種補手所獲持之處。一種通利氣息。一種生合刀瘡。畢囑語父曰。愼莫令驚。三日當愈。父承教勅。寂靜養視。至於三日兒便吐氣而寤。状如臥覺。即便起坐。須臾祇域亦來。兒歡喜出門迎。頭面作禮長跪白言。願得爲祇域作奴。終身供養以報再活之恩。祇域曰。我爲醫師周行治病。病者之家爭爲我使。當用奴爲。我母養我勤苦。我未有供養之恩報母。卿若欲謝我恩者。可與我五百兩金。以報母恩。於是取金以上㮈女。還歸羅閲祇國。祇域治此四人。馳名下。莫不聞知

そのとき国の中にまたカラエツ家の男の子がいました。武術を学ぶのが好きで、一つの木馬を作りました。高さは七尺ほどで、毎日練習しました。学びはじめは馬の側面に上がるだけでしたが、すぐに馬に乗れるようになりました。それから長い間ますます練習したのですが、突然失敗してよりどころを失い、地面に落ちて死んでしまいました。

ジーヴァカはこれを聞くと、すぐに行って薬王を使ってその腹の中を照らして観察し、その肝を見ました。するとひっくり返って後ろを向いており、空気が詰まって通らなかったので、死んでいました。また金の刀で腹を破ると、手で探ってうまいこと整理して、肝を以前の向きに戻しました。終わると、三種のすばらしい塗り薬をこれに塗りました。一つ目は手でつかんだところに塗り、二つ目は息がよく通るように塗り、三つ目は刀で裂いたところを縫い合わせてきずあとができたので、そこに塗りました。終わると父親に言葉を託していいました。「びっくりさせるようなことがないように気をつけなさい。三日で癒えるだろう。」父親はその命令を承り、安静に看護しました。そして三日目になると、子供は息を吐いて目を覚ましました。そのようすはまるで眠りから覚めただけのようでした。すぐに起き上がって坐りました。しばらくしてジーヴァカがまたやってきました。子供は大喜びして門から出て迎えました。頭を地面につけて礼をすると、跪いて申し上げました。「どうかジーヴァカさまのために召使いとしてください。この身が終わるまで供養して、それによって再び生きさせてくださった恩に報いたいと思います」。ジーヴァカは言いました。「私は医者だ。あちこちに行って病を治すが、患者の一族は競ってわたしの召使いになろうとする。よし、召使いにしてやろう。私の母はわたしを養って大変苦労した。わたしは面倒を見てもらった恩がありながらまだ母に恩返ししていない。お前がもし私の恩に感謝したいならば、わたしに五百金をあたえるとよい。それで母の恩に報いよう」。こういうわけで、金を受け取ってそれをマンゴー娘に差し上げ、ラージャグリハに帰りました。ジーヴァカはこの四人を治療して、名を下に馳せ、その名を知らないものはいませんでした。

  • 騙上初學:騙は漢辞海で引くと「(近代用法)①かたる、だます」とだけあって本文の字義とはおそらく違う。「馬の背に上がること」の前段階なので「馬の側面に上がること」と理解した。「偏」なども「かたわら、そば」を表す。
  • 肝:「氣結不通」とあるので空気が流れている器官である。したがって肝臓ではなく肺なのかも知れない。あるいは肝臓に空気が流れていると当時の医学では勘違いしていたのかもしれない。もしくは氣が空気ではなく血液を意味するのだろうか。
  • 料理:うまく処理すること。ととのえること。cookingの意味に限定して用いるのは現代の用法である。
  • 病者之家爭爲我使。當用奴爲:ここは「患者の一族は競ってわたしの召使いになろうとする。よし、召使いにしてやろう。」と訳したが、文脈を見ると召使いにせずにお金をもらっているのでおそらく翻訳がよくない。「奴隷にして何になるのか」と前の段と同じに理解したいが「當用奴爲」をそのように理解することが可能なのだろうか。
  • 我未有供養之恩報母:「わたしは未だ供養の恩ありて、母に報いず」。
  • 卿:少し相手を下に見た二人称である。
  • どうも付け加えっぽい話である。表現も脳外科手術の話をコピペしたものが多い。ジーヴァカとアンバパーリの物語が融合した段階になってから、アンバパーリに渡すためのお金を作るために、無理矢理作られた話では無いだろうか。

<ジーヴァカ、怒りの病に立ち向かう>

又南有大國。去羅閲祇八千里。瓶沙王及諸小國。皆臣屬之。其王病疾積年不差。恒苦瞋恚。睚眥殺人。人擧目視之亦殺。低頭不仰亦殺。使人行遲亦殺。疾走亦殺。左右侍者。不知當何措手足。醫師合藥。輒疑恐有毒亦殺之。前後所殺。傍臣宮女。及醫師之輩。不可勝數。病日増甚。毒熱攻心。煩懣短氣。如火燒身。聞有祇域。即爲下書。勅瓶沙王。徴召祇域。祇域聞此王多殺醫師。大以恐怖。

また、南に大国がありました。ラージャグリハを去ること八千里、ビンビサーラ王ともろもろの小国はみなこの国に臣属していました。その王が病となって長い年月のあいだ回復しませんでした。いつも苦しんでいて怒っており、ささいな怨みで人を殺しました。人が目をあげて彼を見れば、またこれも殺しました。頭をさげたまま仰がなければ、これもまた殺しました。使いの人間が行くのが遅ければ、これもまた殺しました。速く走ってもこれもまた殺しました。近くに侍るものはどこに手足を置いたらいいのかもわかりませんでした。医者が薬を調合すれば、そのたびに毒があるのではないかと疑い恐れて、これもまた殺しました。人々は大いにこれに恐怖しました。

  • 睚眥:睚眥は「ガイサイ」「目をいからせてにらむこと」(『漢辞海』)。睚は「ガイ(漢音)」「目の周辺、まぶた」。眥は「サイ」「めじり」。二つ合わせて熟語になると「にらむ」という意味になる。睚眥之怨という熟語も辞書に載せられていて「人ににらまれた怨みほどの小さな怨み」という意味だという。本文の場合は「目があって殺した」と取ると「人擧目視之亦殺」とかぶるので、睚眥之怨を踏まえて「ささいな怨みで殺した」という意味に理解した。

 瓶沙又怜其年小恐爲所殺。適欲不遣。畏見誅伐。父子相守。晝夜愁憂。不知何計。爾時瓶沙王乃將祇域。倶往佛所頭面禮足。而白佛言。世尊。彼王惡性恐殺醫師。爲可往不。佛告祇域。汝宿命時與我約誓。倶當救護下。我治内病。汝治外病。今我得佛。故如本願會生我前。此王病篤。遠來迎汝。如何不往。急往救護之。趍作方便。令病必愈。王不殺汝。

ビンビサーラ王もまた彼の年若いジーヴァカが殺されるかもしれないと恐れてかわいそうに思い、派遣したがらなかったのですが、誅伐されるのを恐れて、親子で互いに守りを固めて昼夜思い悩み、どうすればいいか分かりませんでした。そのときビンビサーラ王はジーヴァカを引き連れて、ともにブッタのところを訪ね、頭を地面につけて足に礼をして、ブッタに申し上げていいました。「世尊よ。かの王はたちが悪く、おそらくは医者を殺してしまいます。行かせるべきなのでしょうか」。ブッタはジーヴァカに告げました。「お前は前世のときに、わたしと誓いをした。『いっしょに下を護り救おう。わたしは内側の病を治す。お前は外側の病を治せ。』と。いまや、わたしはブッタになることができた。ゆえに、かつて願を立てたように同じ時に生まれて私の前に来たのだ。この王は病が重く、遠くから来てお前を迎えている。どうして行かないということがありえようか。急いで行って、彼を救い護るのだ。行って手を尽くせば、病を必ず治すことができる。王はお前を殺さない」。

 祇域便承佛威神。往到王所。診省脈理。及以藥王照之。見王五*藏及百脈之中血氣擾擾、悉是蛇蟒之毒、周匝身體。祇域白王。王病可治。治之保愈。然宜入見太后諮議合藥。若不見太后。藥終不成。王聞此語不解其故。意甚欲怒。然患身病。宿聞祇域之名。故遠迎之。冀必有益。且是小兒。知無他奸。忍而聽之。即遣青衣黄門。將入見太后。

これを聞いてジーヴァカはブッタの威神を大事に受け取りました。そして病の王のところに行きました。血のめぐりなどを診察して、それから薬王によって彼を照らしました。すると五臓と百脈の中で、血のめぐりがもみくちゃになっていてるのが見えました。これはすべて大ヘビの毒が全身に回ったものでした。ジーヴァカは王に申し上げました。「王さまの病は治すことができます。これを治して回復状態に保ちます。そこでぜひとも、わたしは宮殿に入ってお母上にお会いし、薬の調合を話し合うのがよいと思います。もしお母上にお会い出来ないなら、薬はついに完成しません。」王はこの言葉を聞いてその理由が理解出来ませんでした。心に激しい怒りが起こりそうでしたが、しかし、身の病に苦しみ、以前からジーヴァカの名を聞いていたからこそ、わざわざ遠くから彼を迎えたのです。必ず利益があってほしいと王は考えました。それに彼は小僧であり、人を奸計ではめることは無いと知っていたので、怒りを我慢して彼に許可を与えました。すぐに青い衣を着た側近を派遣して、宮中に彼を案内させて王の母親に会わせました。

  • 太后:王さまの母親。
  • 蛇蟒:蛇も蟒も大きなヘビを表す漢字。蟒は「ボウ(漢音)モウ(呉音)」「ニシキヘビ科のヘビの総称。六メートルぐらいにもなる無毒の大ヘビ。うわばみ」(『漢辞海』)
  • 宜:「~するのがよいと思われます」。この経典では王さまなど高位の相手に限って使われているので、敬意のこもった表現であるらしい。おそらく「応」「当」などと比べると、断定度合いが弱いからだろう。英語で言うところのmustとwouldみたいなものか。
  • 青衣黄門:宮中つきの側近のこと?

祇域白太后。王病可治。今當合藥。宜密啓其方。不可宣露。宜屏左右。太后即逐青衣黄門去。祇域因白太后。省王病。見身中血氣悉是蛇蟒之毒。似非人類。王爲定是誰子。太后以實語我。我能治之。若不語我。王病則不可愈。太后曰。我昔於金柱殿中晝臥。忽有物來厭我上者。我時恍愡。若夢若覺。状如魘夢。遂與通情。忽然而寤。見有大蟒。長三丈餘。從我上去。則覺有躯王實是蟒子也。我羞恥此。未曾出口。童子今乃覺之。何若神妙。若病可治。願以王命委囑童子。今者治之。當用何藥。祇域曰。唯有醍醐耳。太后曰。咄童子愼莫道醍醐。而王大惡聞醍醐之氣。又惡聞醍醐之名。前後坐口道醍醐而死者。數千百人。汝今*道此。必當殺汝。以此飮王。終不得下。願更用他藥。祇域曰。醍醐治毒。毒病惡聞醍醐是也。王病若微及是他毒。爲有餘藥可以愈之。蟒毒既重。又已遍身體。自非醍醐終不能消。今當煎煉化令成水無氣無味。王意不覺。自當飮之。藥下必愈。無可憂也。

ジーヴァカは王の母親に申し上げました。「王さまの病は治すことができます。今、薬を調合しようと思うのですが、あなたさまに密かに申し上げたほうがよいと思われることがあります。他人の耳に入ってはいけません。側近をさがらせるのがよいと思われます。」王の母親はすぐに青い衣の側近を外に去らせました。ジーヴァカはそれを見て王の母親に申し上げました。「王さまの病をよく見てみますと、体内の血と気がすべて大ヘビの毒であって、人類のものではないように見えました。王ははたして誰の子供なのでしょうか。王さまのお母上さま、真実をわたしに語ってください。わたしはこの病を治すことができます。もし語ってくださらないならば、王の病が回復することはありえないでしょう。」王の母親は言いました。「わたしは昔、金の柱の宮殿の中で昼寝をしていた。突然、なにものかがやってきて、わたしの上から圧迫してきた。わたしはそのとき恍惚としていて、夢だろうか覚めているのだろうかという感じで、さながら悪夢のようだった。そしてとうとうそれと情を通じてしまい、そこで突然目が覚めた。見ると大きなウワバミがいて、長さは三丈ほどで、わたしの上から去って行った。そして、腹の中に子供がいることに気がついた。王さまは実に大ヘビの子なのだ。わたしはこのことを恥ずかしいと思って、今まで口から出したことはない。小僧はそれなのに今このことに気がついた。なんと神妙なことだろうか。もし病を治すことができるならば、どうか王の命を小僧にたくさせてほしい。今これを治すのに、何の薬を用いるのがよいのか。」ジーヴァカは言いました。「ただ醍醐だけが薬となります。」王の母親は言いました。「こらっ。小僧よ、醍醐と言うことがないように気をつけなさい。王さまは醍醐の匂いを嗅ぐこと非常に憎み、またその名を聞くことも憎んでいる。これまでに診察のためにそばに坐って口に醍醐と言って死んだものは、数千百人いる。おまえが今これを言えば、必ずお前は殺されることになるだろう。これを王さまに飲ませても、ついに飲み下すことができなかった。どうか他の薬を使ってほしい。」ジーヴァカは言いました。「醍醐は毒を治します。それで毒病は、醍醐を聞くことを憎んでいるというわけです。王の病が、もしかすかであったり他の毒であるならば、他の薬を使ってそれを回復させることができます。大ヘビの毒が既に重く、そのうえすでに全身に回っているので、醍醐によるのでなければ決して消すことができないのです。いま、煮込んでねりあげて、水にして無味無臭にするべきでしょう。そうすれば王さまは気づかずに、自らこれを飲むでしょう。薬が飲み下されれば必ず回復します。心配するべきことはなにもありません」。

  • 宜密啓其方:敬意を込めた呼び方として「其方」という言葉が使われている。
  • 魘夢:魘は「エン(漢音)」「悪夢にうなされる、うなされる」(『漢辞海』)。
  • 有躯:躯は「からだ、いのち」だが、懐躯や有躯で「体のなかに命を宿す」→「子供をはらむ、懐妊する」という意味でも使われる。
  • 何若神妙:この若は「ごとし」の用法で、「なんと神妙なようすだろう」という意味か。あるいは「なんじ」と読むべきか。
  • 咄:「トツ(漢音)」「感嘆. ①舌打ちの声;②痛ましく思う気持ちを表す声。ああ;③ 大声でしかる声。こらっ。」
  • 前後坐口道醍醐:前後は「これまで」の意味で、あとにも出てくる。坐は『漢辞海』によると前置詞として用いて「~のために、~によって」という風に原因を表すことがあるらしい。あまり見たことがない用法だが本文の坐はこれだろうか?本文ではひとまず「診察のために坐って」と理解したが「口に醍醐と言ったせいで」としたほうがいいかもしれない。
  • 大惡聞醍醐之氣:「聞く」は古い漢文では匂いをかぐという場合にも用いられる。「気を聞く」とあるのでこの箇所も「醍醐の匂いをかぐ」という意味である。気が匂いの意味であることはすぐあとの「無氣無味」という表現からも分かる。そもそもなぜ「においをかぐ」と「音を聞く」が同じ動詞なのか疑問だが、音の場合も匂いの場合も空気によって伝わるから、それらを感じることに同じ動詞が用いられているのだろうか?
  • 煎煉:煎は「煮る、加熱する」、煉は「加熱してねる」。

便出見王曰。向入見太后。已啓藥方。今當合之。十五日當成。今我有五願。王若聽我。病可即愈。若不聽我。病不可愈。王問。五願盡何等事。祇域曰。一者願得王甲藏中新衣未歴躯者與我。二者願得令我獨自出入門無呵者。三者願得日日獨入見太后及王后。莫得禁呵我。四者願王飮藥當一仰令盡。莫得中息。五者願得王八千里白象。與我乘之。王聞大怒曰。兒子何敢求是五願。促具解之。若不能解。今棒殺汝。汝何敢求我新衣。爲欲殺我。便著我衣。詐作我身耶

そこでジーヴァカは宮中から出て王にお会いして言いました。「さきほど宮中に入ってお母上にお会いしました。すでに薬の処方を申し上げており、いまこれを調合しているところです。十五日で完成するでしょう。今わたしには五つの願いがあります。王さまがもしわたしに許可してくださるならば、病はすぐにでも回復するでしょう。もしわたしに許してくださらないならば、病は回復することはありえません。」王は質問しました。「五つの願いとはどのようなことか。すべて述べよ。」ジーヴァカは言いました。「一つ目に、どうか王の鎧をおさめる倉の中から、新しい衣でまだ人の体を経ていないものを私にください。二つ目に、どうか私が一人だけであっても門の出入りのさいにとがめられないようにしてください。三つ目に、どうか王さまのお母上やお妃さまに毎日お会いできるようにしていただいて、それを禁止して責めるということがないようにしてください。四つ目に、どうか王さまが薬を飲むときは、一息に飲んで空っぽにしてください。中間で休んではいけません。五つ目に、どうか王の八千里の白象を、わたしに与えてこれに乗らせてください。」王は聞いて大いに怒りました。「小僧よ、よくもまあこの五つの願いを求めたものだな!すみやかにこれを撤回すると述べよ。もし撤回しないならば、いますぐにお前を棒で叩き殺す。お前はどうしてあえて私の新しい衣服を求めるのか。わたしを殺したいと思い、そして私の衣を着て、私の身になりかわるためか!」

  • 甲藏:鎧の倉、あるいは武器庫。
  • 促具解之:「『これをやめる』とすみやかに具申する」という風に理解した。
  • 八千里の白象:八千里を走る白象という意味。

祇域曰。合藥宜當精潔齋戒。而我來日久。衣被皆塵垢故。欲得王衣以之合藥。王意解曰。如此大佳。汝何故欲得自出入宮門令無禁呵。欲因此將兵來攻殺我耶。祇域曰。王前後使諸師醫。皆嫌疑之。無所委信。又誅殺之。不服其藥。群臣皆言。王當復殺我。而王病已甚。恐外人生心作亂。若令我自出入不見禁呵。外人大小皆知王信我。必服我藥病必當愈。則不敢生逆亂之心。王曰大佳。汝何故日日獨入。見我母及我婦。欲作婬亂耶。祇域曰。王前後殺人甚多。臣下大小各懷恐怖。皆不願王之安隱。無可信者今共合藥。因我顧睨之間。便投毒藥。我所不覺。則非小事。故思惟可信者。恩情無二。*唯有母與婦。故敢入見太后王后。與共合藥、當煎十五日乃成。故欲日日入伺候火齊耳。王曰大佳。

ジーヴァカは言いました。「薬を調合するのには、清潔に斎戒をするのがよろしいのです。しかし、わたしが来てから日は久しく、着ているものはみな塵と垢で古くなっています。王の衣を手に入れたいというのは、これによって薬を調合するのです。」王は理解して言いました。「このようであるならば、大いによろしい。」

「お前は何のために自ら宮中の門を出入りして、とがめることがないようにしたいのか。これによって兵を招き入れて、攻め込んで私を殺すのか。」ジーヴァカは言いました。「王さまはこれまでに色々な医師を使ってきましたが、みなこれを疑って、任せて信じるということがありませんでした。そしてこれを誅殺して、その薬を飲みませんでした。群臣はみな言っています。『王さまはきっとわたしも(医者のまきぞえにして)殺すだろう、しかも、王さまの病はすでにひどいのだ、(治るはずがない)」と。わたしは、外部の人間が混乱を引き起こそうと考えて、わたしが自分で出入することを許さず、禁じて呵責するかもしれないことを恐れます。外部の人間が大小を問わず、王さまはわたしのことを信頼していると知り、必ずわたしの薬を飲み、病が必ず回復するだろうと知れば、あえて逆らう心を生じません。」王は言いました。「大いによろしい。」

「お前は何のために毎日一人入って、私の母と妻に顔を会わせるのか。みだらなことをするためか。」ジーヴァカは言いました。「王はこれまでとても多くの人を殺しました。臣下は大小を問わず、それぞれ恐怖を抱いていて、みな王の安穏を願っておりません。今一緒に薬の調合をするために信頼出来るものがいないのです。わたしがよそ見をしたすきに、そのとき毒薬を投入されても、わたしは気づかないでしょう。つまり、これは小さな事ではないのです。そのため信頼出来る者、恩情の深い者をよく考えましたが、ただ母と妻だけがいました。ゆえに敢えて中に入ってお母上とお妃さまにお会いし、ともに薬を調合したいのです。煮込んで十五日で完成するので、そのために毎日入って火のようすを見たいだけです。」王は言いました。「大いによろしい。」

  • 生心作亂:心に作亂を生じて。
  • 顧睨:顧が「かえりみる、後ろをふりかえる」。睨が「ななめに見る」。二つあわせて「よそ見をする」という意味合いだろう。

汝何故使我飮藥。一仰令盡。不得中息。爲欲内毒恐我覺耶。祇域曰。藥有劑數。氣味宜當相及。若其中息則氣不相繼。王曰大佳。汝何故欲得我象乘之。此象是我國寶。一日行八千里。我所以威伏諸國。正怙此象。汝欲乘之。爲欲盜以歸家、與汝父攻我國耶。祇域曰乃南界山中有神妙藥草去此四千里。王飮藥、宜當即得此草。重復服之。故欲乘此象詣往採之。朝去暮還。令藥味相及。王意大解。皆悉聽之。

「お前は何のために、私が薬を飲むときに一息に空っぽにさせて、途中で休むことがないようにしたいのか。中に毒を入れようと考えていて、わたしがそれに気づくかも知れないからか。」ジーヴァカは言いました。「薬には分量があって、(その分量でこそ)気と味がふさわしく互いに影響し合います。もしその途中で休んでしまったならば、気が連続しません。」王は言いました。「大いによろしい。」

「お前は何のために私の象を得て、これに乗りたいのか。この象はわたしの国の宝である。一日に八千里を行く。わたしが諸国を従わせられる理由は

、まさにこの象にたよっている。お前がこれに乗りたいのは、盗んで家に帰り、お前の父に与えて私の国を攻めるためか。」ジーヴァカは言いました。「南のほうの山中に、神妙な薬草がありますが、ここから四千里のところです。王が薬を飲むにあたっては、ぜひともすぐにこの草を得て、これを繰り返し飲むべきです。ゆえにこの象に乗って、その場所を訪ねてこれを採集し、朝に出発して暮れに帰り、薬味が続くようにします。」王は是を大いに理解して、すべてこれらを許可しました。

  • 藥有劑數:劑數の意味は不明。ひとまず分量と訳した。劑は「スイ(漢音)シ(慣用音)」と読むとき「切る、たつ」。「セイ(漢音)ザイ(呉音)」読むとき「調合する、薬、調合した漢方薬の一服分」という意味である。

於是祇域煎*煉醍醐。十五日成。化如清水。凡得五升。便與太后王后倶捧藥出。白王、可服。願被白象預置殿前。王即聽之。王見藥但如清水。初無氣味。不知是醍醐。又太后王后。身自臨合信其非毒。便如本要一飮而盡。祇域便乘象、徑去還羅閲祇國

こういう経緯で、ジーヴァカは醍醐を煮込んで練り上げ、十五日で澄んだ水のようになったものを、だいたい五升ほど手に入れました。そして王の母親と妻とともに薬を捧げ持って差し出すと、王さまに申し上げました。「飲むことができるようになりました。(もう使い終わったので)どうか白象を宮殿の前に置かせてください」。王はすぐにこれを許可しました。王は薬を見ましたが、ただ澄んだ水のように見えました。はじめ味も匂いもなく、これが醍醐だとは分かりませんでした。また母親と妃が自らそばにいて調合したので、これは毒ではないと信じていました。そして、さきの約束のとおりに、一息で飲み干しました。ジーヴァカはそこで象に乗って、ラージャグリハ国に道を通って帰りました。

  • 五升:升は現代で言えば1リットル(『漢辞海』)。したがって五升でだいたい五リットル。
  • 本要:要は「約束」。Cf. 「 要言 」

 爾時祇域適行三千里。祇域年小力膂尚微。不堪疾迅頭眩疲極。便止息臥。到日過中。王噫氣出聞醍醐臭。便更大怒曰。小兒敢以醍醐中我。怪兒所以求我白象。正欲叛去。王有勇士之臣名曰烏。神足歩行能及此象。即呼烏曰。汝急往逐取兒來。生將以還我欲目前捶殺之。汝性常不廉。貪於食故名爲烏。此醫師輩多喜行毒。若兒爲汝設食。愼莫食也。烏受勅便行。及之於山中曰。汝何故以醍醐中王。而云是藥。王故令我追呼汝還。汝急隨我還。陳謝自首庶可望活。若故欲走。今必殺汝終不得脱。祇域自念、我雖作方便求此白象。復不得脱。今當復作方便。何可隨去。乃謂烏言。我朝來未食。還必當死。寧可假我須臾。得於山間啖果飮水。飽而就死乎。

そのときジーヴァカはちょうど三千里ほど進んでいました。ジーヴァカは年若く体力がまだ弱かったので、あまりの速さに耐えられず、頭はくらくらとして疲れ切ってしまいました。そこで休んで横になりました。日が正午を過ぎた頃、王はげっぷを出して、醍醐の臭いを嗅ぎました。そして大いに怒りました。「あのガキめ、醍醐をわたしに飲ませおった!あの怪しいガキが白象を求めていたのは、裏切って逃れようと考えたからだったのだ!」王には勇士の家臣がいて、名前をカラスといいました。神足で歩行して、あの象にも追いつくことができるほどでした。すぐにカラスを呼ぶと言いました。「お前は急いで追いかけてガキを捕らえて連れてこい。生けどりにして戻れば、わたしは目の前でこれを打ち殺してやろう。お前の性質はいつもいやしんぼうで、食べ物に貪るところがあるからカラスと呼ばれているのだ。この医師という連中は、多く毒を好んで使う。もしガキがお前のために食事を用意したら、注意して食べることがないようにするのだ。」カラスは命令を受けると、出発しました。山の中でジーヴァカに追いつくと言いました。「お前はなぜ醍醐を王に飲ませて、しかもこれを薬だと言ったのだ。このために王はわたしに命じて追わせて、お前を呼んで戻らせるように命じた。お前は急いでわたしにしたがって戻るのだ。陳謝して自ら首を差し出して、生き残ることをお願いするがよい。もし意図的に逃走をはかったら、そのときは必ずお前を殺す。ぜったいに逃れられない。」ジーヴァカは一人思いました。「わたしは手立てを用意してこの白象を求めたというのに、それでも逃げられなかった。いままた手立てを講じよう。どうして彼にしたがって行くべきだろうか。いや行くべきではない。」そこでカラスに言いました。「わたしは朝からいままで、まだ食事をしていません。(この状態で)戻れば、きっと死んでしまうでしょう。それよりも、少しの間時間を与えて、山の中で果物を食べ、水をのみ、満足してから死なせてくれませんか。」

  • 力膂:膂は「リョ(漢音)」「背骨、肉体」。膂力で「体力」という意味であり、力膂も同じであろう。
  • 噫氣:「げっぷ」のこと。『説文』によれば噫は「満腹したときのため息」(『漢辞海』)。
  • 以醍醐中我:中は、この場合「中に入れる、飲ませる」の意味。「中毒」というのと共通の意味合いで、毒を飲ませたときに用いる。この場面では王は醍醐を毒のようなものだと思っているので「服」ではなく「中」をあえて用いている。
  • 怪兒所以:「怪兒」で名詞なのかあるいは「兒の所以を怪しむ」なのか微妙である。とりあえず怪兒を一つの名詞として訳した。
  • 不廉:廉は「人格や行いが高潔な人」(『漢辞海』)であり、その否定なので「性格がいやしい人」ぐらいの意味だろうか。
  • 行毒:毒を使うというときにこのような言い方をするらしい。

烏見祇域、小兒畏死懼怖言辭辛苦怜而聽之曰。促食當去。不得久留。祇域乃取一梨。喫食其半。以毒藥著爪甲中。以分餘半。便置於地。又取一杯水。先飮其半。又行爪下毒於餘水中。復置於地。乃歎曰。水及梨皆是藥。既清香且美。其飮食此者。令人身安。百病皆愈。氣力兼倍。恨其不在國都之下。百姓當共得之。而在深山之中。人不知也。便進入山索求他果。烏性既貪。不能忍於飮食。又聞祇域歎爲神藥。亦見祇域已飮食之。謂必無毒。便取餘梨食之。盡飮餘水。便下痢。痢如注水。躃地而臥。起輒眩倒。不能復動。祇域曰。王服我藥。病必當愈。然今藥力未行。餘毒未盡。我今往者必當殺我。汝無所知。起欲得我。以解身負。故使汝病。病自無苦。愼莫動搖。三日當差。若起逐我。必死不疑。便上象而去。

カラスにはジーヴァカのことが、小さい子供が死をおそれて恐怖し、辛さを訴えているように見えたので、かわいそうだと思いこれを許して言いました。「はやく食べろ。それから出発するぞ。長く留まることはできないからな。」ジーヴァカはそこで梨を一つ取り、かじってその半分を食べると、毒薬を爪の甲の中につけて、それで残りの半分を分けて、地面に置きました。また水を一杯取ってきて、まずその半分を飲むと、また爪の下の毒を残りの水の中に入れて、また地面に置きました。そして声に出して言いました。「水と梨はどちらもの薬だなぁ!とても清らかな香りで、しかもうまい。これを飲み食いすれば、人の身を安らかにして、百の病もみな回復する。気も力もどちらも倍になる。うらめしいことに、これは国の都の中にはないんだよなぁ。人々はこれをみな手に入れるべきなのに、深い山の中にあるから、人々は知らないのだ。」そう言うと山に入って他の果物を探し始めました。カラスは性格が非常に貪欲だったので、飲み食いすることを我慢出来ず、またジーヴァカが声に出して神薬であるとほめたたえるのを聞いて、そのうえジーヴァカがすでにこれを飲み食いしたのを見ていたので、「きっと毒はないぞ。」と言いました。そこで余った梨を取ってこれを食べ、余った水を飲み干しました。すると下痢をして、腹を下すそのようすは水を注ぐようでした。カラスは地面にうずくまって横になりました。起き上がればめまいがして倒れてしまうので、もはや動くことができません。ジーヴァカは言いました。「王は私の薬を飲みました。病は必ず回復します。しかし、今はまだ薬が効力を発揮しておらず、残りの毒が尽きていないのです。私が今行けば、あなたは必ずや私を殺すでしょう。あなたは起きてわたしを捕まえて身をバラバラにしたいでしょうが、どうすることもできません。だからあなたを病気にしました。病は自然なままなら苦しむことはありません。気をつけて体を動かさないようにしていれば、三日で治るでしょう。(病の治らないうちに)もし起き上がって私を追いかけたら、疑いないく必ず死にます。」そう言うと、象に乗って立ち去りました。

  • 怜:「レン(漢音・呉音)」「かわいそうに思う、あわれむ」(『漢辞海』)。
  • 汝無所知。起欲得我。以解身負。:「汝、起きて、我を得てもって身を解して負わんと欲するも、知るところ無し。」

祇域則過墟聚。語長伍曰。此是國王使。今忽得病。汝等急往。舁取歸家。好養護之。厚其床席。給與糜粥愼莫令死。死者王滅汝國。語畢便去。遂歸本國。長伍承勅。迎取養護。三日毒歇下絶。烏便歸見王叩頭自陳曰。我實愚癡。違負王教。信祇域言。飮食其餘水果。爲其所中。下痢三日。始今旦差。自知當死。比烏還三日之中。王病已差。王自追念。悔遣烏往行。見烏來還。且悲且喜曰。頼汝不即將兒來、當我恚時。必當捶殺。我得其恩。命得生活。而反殺之。逆戻不細。即悔前後、所抂殺者悉更厚葬。復其家門賜與錢財。思見祇域。欲報其恩。即遣使者。奉迎祇域。祇域雖知王病已差。猶懷餘怖不復欲往

そうしてジーヴァカは村落を通り過ぎて、集団の長に言いました。「これこれの人は国王の使いであるが、いま突然病気になってしまった。あなたたちは急いで行って、家にかかえて来て、よくこれを看護してあげなさい。彼の寝床を厚くして、おかゆを与えて、気をつけて死なないようにしなさい。死んだならば王があなたたちの国を滅ぼします。」言い終わると去って、そしてとうとうジーヴァカは本国に帰り着きました。

集団の長は命令を承って、カラスを引き取り看護しました。三日で毒は尽き、下痢は絶えました。そこでカラスは戻り王にお会いすると、頭を叩いて自ら述べて言いました。「わたしは本当に愚かです。王さまの教えに違反して、ジーヴァカの言葉を信じ、彼の余った水と果物を食べてしまいました。そのために中毒になり、下痢をすること三日、ようやく今日の朝方に治りました。わたしは死ぬべきだと自覚しております。」このカラスが戻る三日の間に、王の病はすでに回復していました。王は自ら思い起こして、カラスを派遣して行かせたことを後悔していました。カラスが帰ってくるのを見て、悲しくもありうれしくもあり、言いました。「お前に頼んだが、すぐに子供を連れて来ることはできなかった。わたしが怒っていたときであったら、必ずやお前を打ち殺そうとしていただろう。わたしは彼の恩によって、命を生きながらえさせることができたのに、それをかえって殺そうとした。逆戻不細であった。」王はすぐにこれまでのことを後悔して、不合理に殺されたものをみな厚く葬りました。またその一族に銭や財産を与えました。ジーヴァカに会いその恩に報いたいと思い、すぐに使いを派遣してジーヴァカを招きました。ジーヴァカは王の病がすでに回復したことを知っていましたが、それでもなおいくらか恐怖があったので、二度と行きたいとは思いませんでした。

  • 墟聚:墟は「キョ(漢音)」「①大きな丘、②過去には栄えたが今は荒廃した場所、③墓、④むらざと」(『漢辞海』)。本文の場合、病人を休ませる施設があるので「②廃墟」ではなく「④むらざと」の意味だと考えられる。『漢辞海』によれば市のたつ集落を中国北部では「集」、中部・南部では「墟」と言ったとのことなので、そこから考えると、この経典は北部ではなく中部から南部で翻訳されたものなのだろうか。
  • 舁:「ヨ(漢音・呉音)」「力を合わせていっしょにかつぎあげる」(『漢辞海』)。

爾時祇域復詣佛所。接足頂禮白佛言。世尊。彼王遣使來喚。爲可往不。佛告祇域。汝本宿命已有弘誓。當成功徳何得中止。今應更往。汝已治其外病。我亦當治其内病。祇域便隨使者去。王見祇域甚大歡喜。引與同坐。把持其臂曰。頼蒙仁者之恩。今得更生。當何以報。當分國土以半相與。宮中婇女。庫藏寶物悉當分半。幸願仁者受之

祇域曰。我本爲太子。雖實小國亦有民人珍寶具足。不樂治國故求爲醫。當行治病。當用土地婇女寶物爲皆所不用。王前聽我五願外病已愈。今若聽一願。内病可復除愈。王曰。唯聽仁教。請復聞一願之事。祇域曰。願王請佛從受明法。因爲王説佛功徳巍巍特尊。王聞大喜曰。今欲遣烏、臣以白象迎佛。可得致不。祇域曰。不用白象。佛解一切。遙知人心所念。但宿齋戒清淨。供具燒香。遙向佛作禮。長跪白請。佛必自來。王如其言。佛明日與千二百五十比丘倶來。飯食已畢。爲王説經。王意開解。便發無上正眞道心。擧國大小。皆受五戒。恭敬作禮而去

そのときジーヴァカはまたブッダのところを訪ねました。足に頭をつけて頂礼をし、ブッタに申し上げて言いました。「世尊よ。あの王は使いを派遣してわたしを呼びに来ましたが、行くべきなのでしょうか。」ブッタはジーヴァカに告げました。「お前の前世には、すでに広く救うという誓願がある。功徳が完成しようとしているのに、なぜ途中で止めることがありえるだろうか。今、さらに行くべきである。お前はすでにその外側の病を治した。わたしはまたその内側の病を治すだろう。」これを聞いてジーヴァカは使いにしたがって行きました。王はジーヴァカを見ると大いに喜びました。手を引くと同じところに坐らせて、その腕を取って言いました。「あなたさまの恩をこうむりまして、いま更に生きていることができています。何によって報いるのがいいでしょうか。国土を分けてその半分を与え、宮中の女人や、蔵の宝物をすべて半分にしましょう。どうかあなたさまはこれをお受け取りくださると幸いです。」ジーヴァカは言いました。「わたしはもともと王子であって、実に小国であるとはいえ、民も珍宝も備わっています。(しかし)国を治めることを望まなかったので、医者となることを求めたのです。このさきも、あちこちに行って病を治すでしょう。(ですから)土地も女人も宝物も、みな不要なものとなるでしょう。王はさきに私の五つの願いを聞き入れて、外の病はすでに回復しました。いま、もし一つの願いを聞き入れていただければ、内の病もまた取り除いて癒やすことができるでしょう。」王は言いました。「ただあなたさまの教えを聞き入れます。どうかまたその一つの願いについてお聞かせください。」ジーヴァカは言いました。「どうか王さま、ブッタを招請して、彼から明かりの教えを受けてください。」そうしてジーヴァカは王のために、ブッタの功徳が偉大で特別に立派であることを説いてあげました。王はこれを聞いて大喜びして言いました。「今、カラスを派遣し、わたくしめは白象を使ってブッタを迎えようと思います。たどり着くことができるでしょうか?」ジーヴァカは言いました。「白象は用いなくてよいです。ブッタは一切を理解しております。遙かなところから人の心が考えたことを知っています。ただ斎戒を清浄に保って過ごして、供養の準備をしてお香をたき、遙かにブッタの方を向いて礼をしてください。跪いて『来てくださいませ』と申し上げれば、ブッタは必ず自らやってきます。」王はそのことばの通りにしました。ブッタは次の日に1250人の比丘とともにやってきました。食事が終わると、王のために経を説きました。王は心から理解して、このうえない本物の道の心を起こしました。国をあげて大小を問わず、みな五戒を受けました。恭しく礼をすると、その場から立ち去りました。

  • 臂:「ヒ(漢音・呉音)」「肩から手首までの部分、うで、かいな」(『漢辞海』)。この漢字を「ひじ」として理解するのは日本語用法である。
  • 巍巍:巍は「たかい、山がたかい」。

<第三部>

<アンバパーリの話>

又㮈女生既奇異。長又聰明。從父學問。博知經道。星暦諸術。殊勝於父。加達聲樂。音如梵。諸迦羅越及梵志家女。合五百人皆往從學。以爲大師。㮈女常從五百弟子。讃授經術。或相與遊戲園池。及作音樂。國人不解其故。便生譏謗。呼爲婬女。五百弟子皆號婬黨。

又㮈女生時。國中復有須漫女及波曇女。亦同時倶生。須漫女者。生於須漫華中。國有迦羅越家。常笮須漫以爲香膏。笮膏石邊忽作瘤節。大如彈丸。日日長大至如手拳。石便爆破。見石節之中有聚。聚如螢火。射出墮地。三日而生須漫。又三日成華。華舒中有小女兒。迦羅越取養之。名曰須漫女。長大姝好。及才明智慧。亞次㮈女。爾時又有梵志家浴池中自然生青蓮華。華特加大。日日長益。如五升瓶。華舒見中有女兒。梵志取養之。名波曇女。長大又好。才明智慧如須漫女。諸國王聞此二女顏容絶世。交來求娉之。二女曰。我生不由胞胎。乃出草華之中。是與凡人不同。何宜當隨世人乃復嫁耶。聞㮈女聰明容貌絶世。無與匹者。又生與我同體。皆辭父母。往事㮈女。求作弟子。明經智慧。皆勝此五百人

またマンゴー娘は誕生が奇異でしたが、そのうえ成長してからもまた(凡人とは違うところがあり)聡明でした。父に学問を学び、教えの道を広く知っており、星読みや暦などの諸術では、父よりもすばらしいほどでした。加えて声楽もマスターしており、その音は梵の音のようでした。カラエツ家とバラモン家の女たち、あわせて五百人が、みな彼女のところにおもむいて彼女から学び、彼女を大師と仰ぎました。マンゴー娘はいつも五百の弟子を従えて、教えや術を声に出して授け、ときには園林や池に遊んで音楽を作っていました。国の人々はなぜそのようなことをしているのか理解していなかったので、誹謗して「淫乱な女」と呼び、五百の弟子を「淫乱な連中」と呼んでいました。

またマンゴー娘が産まれたとき、国の中には「スマン娘」と蓮華娘が同じときに生まれていました。スマン娘はスマンの花の中に生まれました。国のなかのとあるカラエツ家では、いつもスマンを絞って香りのよい塗り薬にしていました。塗り薬を絞っていると石のはしに突然こぶができました。大きさは弾丸のようでした。日に日に大きくなって握りこぶしほどになり、すると石は爆破しました。見ると石の節の中にかたまりがあります。かたまりは蛍の火のようで、飛び出して地面に落ちました。三日するとスマンがでました。そしてまた三日すると花が生じて、花が開くと中には小さな女の子がいました。カラエツはこれを取って養い、スマン娘と名付けました。大きくなると見た目がよく、また聡明で智慧があり、マンゴー娘に次ぐほどでした。またそのとき、とあるバラモンの家の水浴び用の池の中に、自然と青い蓮華が生えました。花はひときわ大きくなり、日に日に成長して、五升瓶のようになりました。花が開くと中に女の子がいました。バラモンはこれを取って養い、蓮華娘と名付けました。大きくなると彼女もまた好ましい見た目で、才知と智慧があり、スマン娘のようでした。国王たちはこの二人の娘の顔かたちが絶世の美女であることを聞いて、こぞってやってきては結婚を求めました。二人の娘は言いました。「わたしは人間の胎内を通らないで、草の花の中から生まれ出ました。これは普通の人と同じではありません。どうして世の中の人にしたがって、それに嫁ぐのがふさわしいでしょうか。マンゴー娘は聡明であり、容貌が絶世の美女で、匹敵するものがいないと聞いています。またわたしと同じ体で生じたそうです。」二人とも父母に別れの言葉を言って、マンゴー娘のところに行き、弟子となることを求めました。彼女たちは教えに明るく智慧があり、彼女の五百人の弟子に勝っていました。

  • 須漫:どのような植物なのか分からないので「スマン」ととりあえずそのまま読んだ。『賢劫經』にも「須漫花」(14.0058c22)は登場し、『大智度論』には「陸地生華須漫提爲第一。水中生華青蓮華爲第一。」と述べられている。なぜスマンとパドマが本文で選ばれたのか疑問であったが、『大智度論』の記述に従えば、スマンが陸地の第一の花、パドマが水中の第一の花としてそれぞれ代表的な植物であったようだ。
  • 華舒:舒は「のびる」。直線的にぐんぐん伸びるというよりも、曲げていたり丸まっているものが伸びることを意味する。「華舒」はつぼみになって丸まっていた花びらが伸びて開くことを意味する。
  • 波曇:サンスクリット語でpadmaにあたる花で、一般的に紅い蓮華と理解される。しかし、本文の場合、「青蓮華」であると明示されているので、赤い色の蓮華ではない。

<アンバパーリとリッチャヴィーの招請合戦>

爾時佛入維耶梨國。㮈女便率將弟子五百人出迎佛。頭面作禮。長跪白言。願佛明日到我園中飯食。佛默然受之。㮈女還歸。辦其供具。佛進入城。國王又出宮。迎佛禮畢長跪請佛。願明日到宮飯食。佛言。㮈女向已前請。王後之矣。王曰。我爲國王。至心請佛。必望依許。㮈女但是婬女。日日將徒五百婬弟子。行作不軌。何爲捨我而應其請

そのときブッタがヴァイシャーリー国に入ると、マンゴー娘は弟子五百人を引き連れてブッタを迎え、頭を地面につけて礼をし、跪いて申し上げました。「どうかブッタよ。明日わたしの園林に来て、食事をしてくださいませ。」ブッタは黙ってこれを受け入れました。マンゴー娘は帰ると、お供えするものを用意しました。ブッタが進んで城に入ると、国王もまた宮殿から出てきてブッタを迎え、礼をおえると跪いてブッタに請いました。「どうか明日宮殿の中で食事をしてくださいませ。」ブッタは言いました。「マンゴー娘がさきにすでに招請をした。王は彼女の後である。」王は言いました。「わたしは国王です。心からブッタをお招きしているのですから、必ずや招待をお受けになるのが望ましいでしょう。マンゴー娘はただの淫らな女です。毎日のように五百の淫らな弟子を引き連れて、よろしくないことをしています。なぜわたしを捨てて、その招請に応じるのですか。」

  • 必望依許:おそらくだが「依許を必望する」と読むか。「必」は「望む」という行為を強める副詞だろうか。依許という語の意味もはっきりしないのでひとまず文脈で訳したが今後の検討が必要である。

佛言。此女非婬女。其宿命有大功徳。已供養三億佛。昔曾又與須漫波曇女。倶爲姊妹。㮈女最大。須漫次之。波曇最小。生於大姓家。財寶饒富。姊妹相率。供養五百比丘尼日日施設飮食。及作衣服。隨所無乏。皆悉供之。盡其壽命。三人常發誓言。願我後世逢佛。得自然化生。不由胞胎。遠離穢垢。今如本願。生値我時。又昔雖供養比丘尼。然其作豪富家兒。言語嬌溢。時時或戲笑比丘尼曰。諸道人於邑日久。必當欲嫁。迫有我等供養撿押。不得放恣情意耳。故今者受此餘殃。雖日讃經道。虚被婬謗。此五百弟子時亦并力相助供養同心歡喜。今故會生果復相隨。

ブッタは言いました。「この娘はみだらな女ではありません。その前世には大きな功徳があり、すでに三億ものブッタを供養しています。昔は彼女とスマン娘と蓮華娘の三人は姉妹でした。マンゴー娘が長女で、スマン娘がこれにつぎ、蓮華娘が一番年下でした。立派な血族の家に生まれて、財宝は豊富であり、姉妹は互いに連れ立って、五百の比丘尼を供養して、毎日飲み物と食べ物を用意していました。また衣服を作り、随所に足りないところがないようにして、皆すべてこれを差し上げていました。その寿命が尽きるとき、三人は断えることなく誓いの言葉を発しました。『どうか後世では仏にお会い出来ますように。ふっとわき出るように誕生して、人間の胎内を通らず、穢れを離れられますように。』と。彼女たちは、今やかつての願いのように生まれて、わたしに会うときなのです。また昔比丘尼を供養したと言っても、しかし、彼女たちは富豪の家の子供だったので、言葉に奢ったところがあって、時々比丘尼たちを冗談で笑って言いました。『道の人たちが村にいてずいぶんになるけれど、これはきっと結婚したいからだわ。わたしたちに供養がほしいと迫るために、思いに素直になれないのね』。このため今彼女たちはこの災いの残りを受けて、毎日教えの道を唱えているにも関わらず、淫らであるという嘘の誹謗を受けているのです。また彼女の五百人の弟子は、過去のその時に三人と力を合わせて、助け合いながら供養をし、一緒になって大喜びをしていました。これによって五百人の弟子は今生まれて三人娘に出会い、布施の成果もまた彼女たちにつきしたがっているのです。」

  • 嬌溢:溢は「イツ(漢音)イチ・イツ(呉音)」「あふれる、いっぱいになる」が主な意味だが「あふれる、越える」から転じて「おごる」という意味もある。本文は女性のおごりなので嬌溢とあるが普通に「驕り」の漢字を使って「驕溢」と出ることも多い。また音が同じなので、しばしば嬌逸とも書かれている。
  • 迫有我等供養撿押。不得放恣情意耳:この場所はうまく理解できなかった。とりあえず翻訳したが間違っている可能性があるので注意。
  • 撿押:撿は「レン(漢音)ケン(漢音・呉音)」レンのときには「両手を胸の前で重ねて敬意を表す動作」。ケンのときには「①拘束する、とりしまる②みまわる、調べる③告発する」(『漢辞海』)。現代で言うところの「差し押さえる」みたいな感覚の言葉か?

祇域爾時爲貧家作子。見㮈女供養意甚慕樂而無資財。乃常爲比丘尼掃除掃除潔淨已輒發誓言令我能掃除下人身病穢如是快耶。㮈女憐其貧窮。又加其勤力。常呼爲子。其比丘尼有疾病時。常使祇域迎醫及合湯藥曰。令汝後世與我共獲是福。祇域迎醫所治悉愈。乃誓曰。願我後世爲大醫王。常治一切身四大之病。所向皆愈。皆宿日因縁今故爲㮈女作子。皆如本願。王聞佛語。乃長跪悔過却期後日。佛明日便與諸比丘。到㮈女園。具爲説本願功徳。三女聞經開解。并五百弟子。同時歡喜。出家修行。精懃不懈。皆得阿羅漢道。

ジーヴァカはそのマンゴー娘たちの前世のとき、貧しい家の子供でした。マンゴー娘の供養を見て自分もやりたいという思いが強く起こりましたが、しかし財産がありませんでした。そこでいつも比丘尼のために掃除をしていました。彼は掃除できれいにし終わるたびに誓いの言葉を言いました。「わたしを、下の人の病や穢れを掃除して、このようにきれいな状態に出来る人間にしておくれ」。マンゴー娘は彼の貧しいさまを憐れみ、彼に力を貸してあげて、いつも「子供」と呼んでいました。その比丘尼が病気になったとき、いつもジーヴァカに医者を迎えに行かせて、薬を調合させては言いました。「お前は後世にわたしと共にこの福を得るでしょう」。ジーヴァカは医者を迎えに行き、治すべきものはすべて回復させました。そして誓って言いました。「どうか後世に大医王となり、一切の身に起きた四大の病をいつも治し、出向いたところの患者はすべて回復しますように」。すべて宿日の因縁だったので、今これ故にマンゴー娘の子供となったのです。すべてかつての願いの通りでした。

王はブッタの言葉を聞いて、跪いて過ちを悔やみ、約束の日を後日にずらしました。ブッタは明くる日、比丘たちとマンゴー娘の園にいたり、つぶさに彼女たちにかつての願いとその功徳を説いてあげました。三人の女は教えを聞いて理解し、五百人の弟子と一緒に大喜びしました。そして、出家して修行し、一生懸命で怠けることがなく、全員、阿羅漢道を得ました。

  • 阿羅漢道:仏教で一番上の立派な境地。アラカンは「布施をもらうにふさわしい人」という意味。もともとはブッタとアラカンの間にはっきりした区別はなかったが、段々と両者を区別する言説も現れた。のちに大乗仏教が起こると、アラカンよりも上の位として菩薩が立てられた。

<結語>

佛告阿難。汝當受持爲四衆説莫令斷絶。一切衆生。愼身口意。勿生憍慢放逸。㮈女往昔時。嘲戲比丘尼故。今被婬謗。汝當修行身口意業恒發善願。聞者隨喜信樂受持。莫生誹謗。墮於地獄餘報畜生。經百千劫後報爲人貧窮下賤。不聞正法。邪見家生。恒値惡王身不具足。汝當修行受持讀誦。盡未來際常使不絶。

爾時阿難從座而起。稽首禮足長跪合掌。白佛言。世尊。此法之要當名何經。佛語阿難。此經名曰㮈女祇域因縁經。修行法用如上。供養比丘比丘尼。施藥迎醫隨喜發誓今獲果報。如是受持。佛説經已。大衆人民龍八部。聞佛所説。歡喜奉行。

佛説㮈女祇域因縁經

ブッタは阿難に告げました。「お前はさあこれを受け保って、四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)のために説いて、断絶しないようにせよ。一切の生き物は身と口と心を慎んで、おごりと放逸が生じないようにせよ。マンゴー娘はかつて、比丘尼たちを嘲笑ったので、今はみだらな女だという誹謗をこうむった。お前たちは修行して、身と口と心の行いにおいていつも善い願いを起こすようにしなさい。この経を聞いた者は大喜びして、信仰して受け保ち、経を誹謗することがないようにしなさい。(もし誹謗したならば)地獄に墜ち、そのあとも残りの悪業の報いで畜生となり、百千劫を経て、それから人となるが、貧しく卑しい生まれであり、正法を聞かず、邪見の家に生まれるだろう。つねに悪王に出会い、身体に欠損があるだろう。お前は(この経を)修行して、受け保ち読誦し、未来の際まで行っても、いつも断絶することがないようにしなさい。」

そのとき阿難は座から立ち上がって、頭を下げて足に礼をして、跪いて合掌し、仏に申し上げました。「世尊よ。この教えのかなめである経典は、何経と名付けるべきでしょうか。」ブッタは阿難に語りました。「この経は、マンゴー娘とジーヴァカの因縁経と名付ける。法を修行したときのはたらきは上に述べた通りだ。比丘比丘尼を供養して、薬を施し、医者を迎えて、~誓いを発すれば、今にその果報を得るだろう。このように受け保ちなさい。」ブッタが経を説き終わると、大衆と竜八部衆はブッタの説いたことを聞いて、大喜びして承りました。

※㮈女の訳について。後半は明らかにアンバパーリのことを指しているが、前半の㮈女は必ずしもアンバパーリのことではない。原語のレベルで見ても前半の㮈女の原語がアンバパーリであるかは定かではないので、翻訳する際は全体を通して「マンゴー娘」で通した。

※<>の中に入っているタイトルはすべて訳者である私が勝手につけたものである。

 

 

概要

大正蔵の中の経集部に収められた『佛説㮈女祇域因縁經』(ぶっせつないにょぎいきいんねんきょう)の現代語訳です。ゴータマブッダに帰依した遊女アンバパーリと、医者のジーヴァカについての物語が述べられています(二人とも、仏教をかじったことがある人なら誰でも知っている、超有名人です)。

いちおう伝記として書かれてはいますが、実際はかなり伝説的な内容を含んでいます。したがって、歴史的な事実として読むよりは当時の知見をもとに書かれた「物語」として読んだ方がよいでしょう。この経典には、当時のインドで行われていた脳外科手術などの記述があり、古代インドにおける医療技術をうかがい知れる興味深い物語です。

ちなみにジーヴァカはインドで一番の名医として大変有名ですが、彼の伝記は他にも『四分律』などに残されています。これらについて詳しく知りたい方は森先生の「ジーヴァカの諸事績年代の推定」をご覧ください。

※「経集部」というのは般若経や法華経のようなメジャーな経典に含まれない、その他の経典を集めたまとまりです。

経録

大正蔵の記述では後漢の安世高訳ということになっていますが、『出三蔵記集』などの古い経録では彼の訳に含まれていません。おそらく安世高訳というのは間違った記録でしょう。経録に登場するのは隋代の『歴代三寶紀』からなので、この経典は南北朝時代の後期から隋代ぐらいの成立かもしれません。

『佛説㮈女祇域因縁經』と類似した内容の経典として、『佛説柰女耆婆經』という経典があります。『経律異相』に引用されているのはこちらの『佛説柰女耆婆經』のほうだけなので、どうも『佛説柰女耆婆經』のほうが先に成立していたようです。『出三蔵記集』には竺法護の翻訳したものとして『奈女耆域經』という名前の経をあげていますので、この『佛説柰女耆婆經』は竺法護の翻訳した経典である可能性が高いでしょう。本経はこの竺法護の訳経に、大乗の布施の話を加えて成立したものだと考えられます。

ちなみに前半の布施の話は『佛説諸徳福田經』とコピペ関係があります。

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