雑阿含経600. 亀の蔵六のごとく

原文

(六〇〇)

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。時有一天子。容色絶妙。於後夜時。來詣佛所。稽首佛足。退坐一面。身諸光明。遍照祇樹給孤獨園。時彼天子。而説偈言

難度難可忍 沙門無知故
多起諸艱難 重鈍溺沈沒
心隨覺自在 數數溺沈沒
沙門云何行 善攝護其心

爾時世尊説偈答言

如龜善方便 以殼自藏六
比丘習禪思 善攝諸覺想
其心無所依 他莫能恐怖
是則自隱密 無能誹謗者

時彼天子復説偈言

久見婆羅門 逮得般涅槃
一切怖已過 永超世恩愛
時彼天子聞佛所説。歡喜隨喜。稽首佛足。即沒不現

翻訳

このようにわたしは聞きました。あるときブッタは舍衞國の祇園に住んでおられました。そのとき容姿が大変美しいある一人の天子がおり、夜も更けるころ、ブッタのところを訪れました。ブッタの足に頭を下げると、一歩下がって傍らに座りました。体から放たれる光は、祇園を遍く照らしていました。その天子は詩を唱えて言いました。

「渡りがたいことだ。忍びがたいことだ。沙門が無知であるから、

多くの困難を起こし、重く鈍いものは溺れて沈んでしまう。

自分の思うがままであるという感覚に心をまかせていては、何度も溺れて沈んでしまう。

沙門はどのようにふるまえば、よくその心をおさめ護るだろうか。」

そのとき世尊は詩を説いて答えました。

「亀が上手に、殻をつかって自分で頭と尾と手足を摂めるように、

比丘は禅思につとめて、よくもろもろの感覚や思いを摂める。

その心は何かに寄りかかることがなく、他人を恐怖させることがない。

これがすなわち自分を隠しひそめるということであり、彼を誹謗することができるような人は一人もいない。」

そのときその天子はまた詩を説きました。

「久しぶりに完全な涅槃にたどり着いたバラモンを見ました。

一切の恐怖をすでに過ぎて、この先もずっと(あなたは)世の恩愛を越えています」

その天子はブッタの説かれたことを聞いて、大いによろこびました。ブッダの足に頭を下げると、即座に姿を消して現れなくなりました。


パラレル

  • SN.1.17がパラレル。現代語訳
  • 中村元の訳を見る限り、PTS版はビルマ第六結集版とは偈の順番が異なっているようである。

7. Dukkarasuttaṃ

17. ‘‘Dukkaraṃ duttitikkhañca, abyattena ca sāmaññaṃ.

Bahūhi tattha sambādhā, yattha bālo visīdatī’’ti.

‘‘Katihaṃ careyya sāmaññaṃ, cittaṃ ce na nivāraye;

Pade pade visīdeyya, saṅkappānaṃ vasānugo’’ti.

‘‘Kummova aṅgāni sake kapāle,

Samodahaṃ bhikkhu manovitakke;

Anissito aññamaheṭhayāno,

Parinibbuto nūpavadeyya kañcī’’ti.

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