雑阿含経15. 使に従うものは死に従う

本文と現代語訳

(一五)

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時有異比丘。來詣佛所。稽首佛足。却住一面。白佛言。善哉世尊。今當爲我略説法要。我聞法已。當獨一靜處修不放逸。修不放逸已當復思惟所以。善男子出家剃除鬚髮。身著法服。信家非家出家。爲究竟無上梵行。現法作證。我生已盡。梵行已立。所作已作。自知不受後有。

このようにわたしは聞きました。あるとき仏は舍衞國の祇園に住んでおられました。そのとき、とある比丘が仏のところを訪れました。仏の足下に頭を下げると、一歩下がって一箇所にとどまり、ブッダに申し上げました。

「どうか世尊よ。今、わたしに法の要点を短く説いてください。わたしは法を聞いて、一人で静かな所で怠けずに修行します。怠けずに修行して、そしてまた思惟をいたします。善き家の子が出家し髭と髪をそり身に法服をつけ、信仰ある在家から家なきものとなり出家した理由である、最高のブラフマンの行いの完成をします。この世で悟って、『私の生はすでに尽きた。梵行はすでに完成した。なすべきことはすでになした。のちの生存を受けることはないと自ら知った』と。」

爾時世尊告彼比丘。善哉善哉。比丘快説此言。云當爲我略説法要。我聞法已。獨一靜處修不放逸。乃至自知不受後有。如是説耶。比丘白佛。如是世尊。

そのとき世尊はその比丘に言いました。

「よきかな、よきかな。比丘よ、よくぞこの言葉を言いいましたね。『わたしのために法の要点を短く説いてください。わたしは法を聞いて、一人で静かな所で怠けずに修行します。・・・ないし・・・のちの生存を受けることはないと自ら知った』と。

あなたはこのように(確かに)言いいましたね?」比丘は仏に申し上げました。「世尊よ。そのように(言いました)」。

佛告比丘。諦聽諦聽。善思念之。當爲汝説。

比丘。若隨使使者。即隨使死。若隨死者。爲取所縛。比丘若不隨使使。則不隨使死。不隨使死者。則於取解脱。

仏は比丘に告げました。「よく聴ききなさい、よく聴ききなさい。よくこれを考えなさい。さあ、あなたのために説きましょう。」

「比丘よ。もし『人を突き動かす煩悩』に従うならば、すなわち死に従うことになります。もし死に従うならば、『取』によって縛られます。比丘よ。もし『人を突き動かす煩悩』に従わないならば、死に従いません。死に従わない者は『取』から解脱しています。」

比丘白佛。知已世尊。知已善逝。佛告比丘。汝云何於我略説法中。廣解其義。

比丘は仏に申し上げました。「世尊よ、分かりました。善逝よ、分かりました」。仏は比丘に言いました。「あなたは私の略説した法の中で、どのように広くその意味を理解したのですか?」

比丘白佛言。世尊。色隨使使色隨使死。隨使使隨使死者。則爲取所縛。如是受想行識。隨使使隨使死。隨使使隨使死者爲取所縛。世尊。若色不隨使使、不隨使死。不隨使使不隨使死者。則於取解脱。如是受想行識。不隨使使不隨使死。不隨使使不隨使死者。則於取解脱。

比丘は佛に申し上げました。

「世尊よ。ものの姿(=色)について、『人を突き動かす煩悩』に従うものは死に従います。『人を突き動かす煩悩』に従い、死に従う者は『取』によって縛られます。これと同じように、受想行識について『人を突き動かす煩悩』に従う(ならば)死に従います。『人を突き動かす煩悩』に従い、死に従う者は『取』によって縛られます。

世尊よ。もしものの姿について『人を突き動かす煩悩』に従わないならば、死に従いません。『人を突き動かす煩悩』に従わず死に従わないならば、『取』から解脱しています。これと同じように受想行識について『人を突き動かす煩悩』に従わない(ならば、)死に従いません。『人を突き動かす煩悩』に従わず死に従わないならば、『取』から解脱しています。

如是世尊。略説法中。廣解其義。

以上のように、世尊が略説した法のなかで、その意味を広く理解しました。」

佛告比丘。善哉善哉。比丘。於我略説法中。廣解其義。所以者何。色隨使使隨使死。隨使使隨使死者。則爲取所縛。如是受想行識。隨使使隨使死。隨使使隨使死者。則爲取所縛。比丘。色不隨使使不隨使死。不隨使使不隨使死者。則於取解脱。如是受想行識。不隨使使不隨使死。不隨使使不隨使死者。則於取解脱。

仏は比丘に言いました。「比丘よ。よきかな、よきかな。わたしが略説した法の中で、(あなたは)広くその義を理解しています。それというのも(実際に以下のようだからです)。

ものの姿について、『人を突き動かす煩悩』に従うものは死に従います。『人を突き動かす煩悩』に従い、死に従う者は『取』によって縛られます。これと同じように、受想行識について『人を突き動かす煩悩』に従う(ならば)死に従います。『人を突き動かす煩悩』に従い、死に従う者は『取』によって縛られます。

比丘よ。ものの姿について『人を突き動かす煩悩』に従わないならば、死に従いません。『人を突き動かす煩悩』に従わず死に従わないならば、『取』から解脱しています。これと同じように受想行識について『使』に従わない(ならば、)死に従いません。『人を突き動かす煩悩』に従わず死に従わないならば、『取』から解脱しています。」

時彼比丘聞佛所説。心大歡喜禮佛而退。獨在靜處精勤修習。住不放逸精勤修習。住不放逸已思惟所以。善男子出家剃除鬚髮。身著法服。信家非家出家。乃至自知不受後有。時彼比丘即成羅漢。心得解脱

そのときその比丘は仏の説いたことを聞いて、心を大いに喜ばせました。仏に礼をしてからその場を去りました。(その後)一人静かな所で努めて修行して、不放逸に過ごして努めて修行しました。不放逸に過ごしてから思惟をしました。善き家の子が出家し髭と髪をそり身に法服をつけ、信仰ある在家から家なきものとなり出家する理由である・・・ないし・・・のちの生存を受けることはないと自ら知りました。そのときその比丘はその場で阿羅漢となって、心は解脱を得ました。

コメント

これまでの経は複数の比丘たちに向けられた教えだったが、この経からしばらくは一人の名も無き比丘に向けられた教えである。

「『使』に従うものは『死』に従い、そして『取』に縛られる」と説かれているが、これは一体どういう意味だろうか。わたしはこの教えは例えば雑阿含43あたりと関係のある教えであると思う。その辺はまた雑阿含43を翻訳してから書きたいと思う。

  • 異比丘:aññatarabhikkhuの翻訳で「とある比丘」という意味。
  • 随使:本文の「随使使者」について「随使」を一つの単語として理解した。この二文字で「従う」と翻訳している。あるいはSN.22.36に出てくる単語から考えて、anu-が随使と翻訳されているのかもしれない。ただしanu-を随使と訳した同様の例が他にあるかをわたしは管見にして知らない。

パラレルについて

完全なパラレルは不明。類似の内容としてSN. 22.36を下に引く(翻訳)。peで省略されているところについてはSN.22.35を参照してほしい。また「縛」や「解脱」についてはSN.22.63を参考のこと。

4. Dutiyaaññatarabhikkhusuttaṃ

36. Sāvatthinidānaṃ . Atha kho aññataro bhikkhu yena bhagavā…pe… ekamantaṃ nisinno kho so bhikkhu bhagavantaṃ etadavoca – ‘‘sādhu me, bhante , bhagavā saṃkhittena dhammaṃ desetu yamahaṃ bhagavato dhammaṃ sutvā eko vūpakaṭṭho appamatto ātāpī pahitatto vihareyya’’nti.

‘‘Yaṃ kho, bhikkhu, anuseti taṃ anumīyati; yaṃ anumīyati tena saṅkhaṃ gacchati. Yaṃ nānuseti na taṃ anumīyati; yaṃ nānumīyati na tena saṅkhaṃ gacchatī’’ti.

‘‘Aññātaṃ, bhagavā; aññātaṃ, sugatā’’ti.‘‘Yathā kathaṃ pana tvaṃ, bhikkhu, mayā saṃkhittena bhāsitassa vitthārena atthaṃ ājānāsī’’ti? ‘‘Rūpaṃ ce, bhante, anuseti taṃ anumīyati; yaṃ anumīyati tena saṅkhaṃ gacchati. Vedanaṃ ce anuseti… saññaṃ ce anuseti… saṅkhāre ce anuseti… viññāṇaṃ ce anuseti taṃ anumīyati; yaṃ anumīyati tena saṅkhaṃ gacchati. Rūpaṃ ce, bhante, nānuseti na taṃ anumīyati; yaṃ nānumīyati na tena saṅkhaṃ gacchati. Vedanaṃ ce nānuseti… saññaṃ ce nānuseti… saṅkhāre ce nānuseti… viññāṇaṃ ce nānuseti na taṃ anumīyati; yaṃ nānumīyati na tena saṅkhaṃ gacchati. Imassa khvāhaṃ, bhante, bhagavatā saṃkhittena bhāsitassa evaṃ vitthārena atthaṃ ājānāmī’’ti.

‘‘Sādhu sādhu, bhikkhu! Sādhu kho tvaṃ, bhikkhu, mayā saṃkhittena bhāsitassa vitthārena atthaṃ ājānāsi. Rūpaṃ ce, bhikkhu, anuseti taṃ anumīyati; yaṃ anumīyati tena saṅkhaṃ gacchati. Vedanaṃ ce, bhikkhu… saññaṃ ce, bhikkhu… saṅkhāre ce, bhikkhu… viññāṇaṃ ce, bhikkhu, anuseti taṃ anumīyati; yaṃ anumīyati tena saṅkhaṃ gacchati. Rūpaṃ ce, bhikkhu, nānuseti na taṃ anumīyati; yaṃ nānumīyati na tena saṅkhaṃ gacchati. Vedanaṃ ce nānuseti… saññaṃ ce nānuseti… saṅkhāre ce nānuseti… viññāṇaṃ ce nānuseti na taṃ anumīyati; yaṃ nānumīyati na tena saṅkhaṃ gacchati. Imassa kho, bhikkhu, mayā saṃkhittena bhāsitassa evaṃ vitthārena attho daṭṭhabbo’’ti…pe… aññataro ca pana so bhikkhu arahataṃ ahosīti. Catutthaṃ.

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