雑阿含経11. 無常な原因

原文と翻訳

(一一)

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。


7. Sahetuaniccasuttaṃ

18. Sāvatthinidānaṃ.

このようにわたしは聞きました。あるとき仏は舍衞國の祇園に住んでおられました。そのとき世尊は比丘たちに告げました。

「色無常。若因若縁生諸色者。彼亦無常。無常因無常縁。所生諸色。云何有常。


“Rūpaṃ, bhikkhave, aniccaṃ. Yopi hetu, yopi paccayo rūpassa uppādāya, sopi anicco. Anicca­sam­bhū­taṃ, bhikkhave, rūpaṃ kuto niccaṃ bhavissati.

「色(=もののすがた)は無常である。因や縁があって色を生じたならば、その因や縁は無常である。無常な因、無常な縁によって生じた色がどうして常住不変でありうるだろうか。

如是受想行識無常。若因若縁。生諸識者。彼亦無常。無常因無常縁。所生諸識。云何有常。


Vedanā aniccā. Yopi hetu, yopi paccayo vedanāya uppādāya, sopi anicco. Aniccasambhūtā, bhikkhave, vedanā kuto niccā bhavissati. Saññā aniccā … saṅkhārā aniccā. Yopi hetu yopi paccayo saṅkhārānaṃ uppādāya, sopi anicco. Aniccasambhūtā, bhikkhave, saṅkhārā kuto niccā bhavissanti. Viññāṇaṃ aniccaṃ. Yopi hetu yopi paccayo viññāṇassa uppādāya, sopi anicco. Anicca­sam­bhū­taṃ, bhikkhave, viññāṇaṃ kuto niccaṃ bhavissati.

同様に、受(=感受されたもの)、想(=構想されたもの)、行(=集めて作ったもの)、識(区別して作ったもの)は無常である。因や縁があって識を生じたならば、その因や縁は無常である。無常な因、無常な縁によって生じた識がどうして常住不変なものでありうるだろうか。

如是諸比丘。色無常。受想行識無常。無常者則是苦。苦者則非我。非我者則非我所。


対応なし

このように比丘たちよ。色は無常であり、受想行識は無常である。無常なものは苦であり、苦であるものはアートマンではない。アートマンではないものは私の所有物ではない。

聖弟子如是觀者。厭於色。厭於受想行識。厭者不樂。不樂則解脱。解脱知見。我生已盡。梵行已立。所作已作。自知不受後有。


Evaṃ passaṃ … pe … nāparaṃ itthattāyā’ti pajānātī”ti.

聖なる弟子はこのように観察して、色を厭い、受想行識を厭う。厭うならば楽しまなくなる。楽しまなくなるなら、解き放たれる。(彼は)『わたしの生はすでに尽きた。ブラフマンの行いはすでに実現した。なすべきことはすでになした。来世の生存を受けることがないと自分で知っている』と解き放たれたことを知る。」と。

時諸比丘聞佛所説。歡喜奉行


対応なし

そのとき比丘たちはブッダの説かれたことを聞いて、喜び承りました。

 


コメント

仏教の基本的な立場は、「どんなものごとにも原因がある」という立場である。これを「縁起の立場」とわたしは呼んでいる。本文ではこの縁起の立場に基づいて、無常を説明している。

ところで本文に「色を生じた因や縁は無常である」と述べているが、なぜそのように言えるのだろううか?これはたきぎと火の関係を考えれば分かりやすい。木を燃やして火を生じたときに、原因となった木は姿を変えて火と炭になっている。つまり何かを生じる原因になるということは、必ず姿を変える過程を伴う。「原因になる」こととは実は「原因の物質が(一部であれ)変化する」ということである。従って、「もし因や縁が色を生じたならば、その因や縁は無常である」という主張は、合理的な見解であると言える。

科学などの世界で言えば、質量保存の法則やエネルギー保存の法則と呼ばれることがらに関連しているか。


パラレル

翻訳

  • 「無常ならば苦。苦ならば無我。無我ならばわたしの所有ではない」という定型フレーズが、この経に対するパーリのパラレルに出ていない。その代わりか分からないが、パーリでは「無常経」・「苦経」・「無我経」の三つを作っている。ただ、この1経の中にすでに無常・苦・無我が出ているので、それをあえて三経に変形したせいで、パーリの経はやや無理な構成をしているように見受けられる。そのせいか、パーリの22.19では「苦を原因とするものは苦である」という論理的に通らない主張がなされている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です