雑阿含経10. 真実正観2

原文

(一〇)

如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。

色無常。無常即苦。苦即非我。非我者即非我所。如是觀者名眞實觀。如是受想行識無常。無常即苦。苦即非我。非我*者即非我所。如是觀者。名眞實觀。

聖弟子。如是觀者。於色解脱。於受想行識解脱。我説是等解脱於生老病死憂悲苦惱。

時諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

翻訳

このようにわたしは聞きました。あるとき仏は舍衞國の祇園に住んでおられました。そのとき世尊は比丘たちに告げました。

「色(=もののすがた)は無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは”我(アートマン)”ではない。アートマンではないものはまた私の所有でもない。このように観察するならば、これを真実観と名づける。

同様に受(=感受されたもの)、想(=構想されたもの)、行(=集めて作ったもの)、識(=区別して立てたもの)も無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは”我(アートマン)”ではない。アートマンではないものはまた私の所有でもない。このように観察するならば、これを真実観と名づける。

聖なる弟子はこのように観察して、色(もののすがた)から抜け出すことができる。受想行識から抜け出すことができる。わたしはこれらを生老病死憂悲惱苦からの解脱であると、説く。」と。

そのとき比丘たちはブッダの説かれたことを聞いて、喜び承りました。


コメント

雑阿含9とほぼ同じだが、二つの違いがある。

  1. 真実正観ではなく真実観になっている。
  2. 最後のところが「不楽」ではなく「解脱」になっている。

パラレル

翻訳

4. Yadaniccasuttaṃ

15. Sāvatthinidānaṃ . ‘‘Rūpaṃ, bhikkhave, aniccaṃ. Yadaniccaṃ taṃ dukkhaṃ; yaṃ dukkhaṃ tadanattā; yadanattā taṃ ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya daṭṭhabbaṃ. Vedanā aniccā. Yadaniccaṃ taṃ dukkhaṃ; yaṃ dukkhaṃ tadanattā; yadanattā taṃ ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya daṭṭhabbaṃ. Saññā aniccā…pe… saṅkhārā aniccā… viññāṇaṃ aniccaṃ. Yadaniccaṃ taṃ dukkhaṃ; yaṃ dukkhaṃ tadanattā; yadanattā taṃ ‘netaṃ mama, nesohamasmi, na meso attā’ti evametaṃ yathābhūtaṃ sammappaññāya daṭṭhabbaṃ. Evaṃ passaṃ…pe… nāparaṃ itthattāyāti pajānātī’’ti. Catutthaṃ.

スッタセントラルにはこの経に対するパーリのパラレルは22.16-17と書かれているが、内容から見て22.15のパラレルである。あえて22.16-17を含めたいのならば、大正蔵のように22.15-17とするほうが妥当であると思う。

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