雑阿含経7.色を愛喜すること

原文

(七)
如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊。告諸比丘。

於色愛喜者。則於苦愛喜。於苦愛喜者。則於苦不得解脱。如是受想行識愛喜者。則愛喜苦。愛喜苦者。則於苦不得解脱。諸比丘。於色不愛喜者。則不喜於苦。不喜於苦者。則於苦得解脱。如是受想行識。不愛喜者。則不喜於苦。不喜於苦者。則於苦得解脱。

時諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

 

現代語訳

このようにわたしは聞きました。あるとき仏は舍衞国祇園に住んでおられました。そのとき世尊は比丘たちに告げました。

「色(=もののすがた)に愛喜するならば、(それはつまり)苦しみを愛喜しているということだ。苦しみを愛喜するならば、苦しみから抜け出すことはできない。 同様に、受(=感受されたもの)、想(=構想されたもの)、行(=集めて作ったもの)、識(区別して作ったもの)に愛喜するならば、(それはつまり)苦しみを愛喜しているということだ。苦しみを愛喜するならば、苦しみから抜け出すことはできない。

比丘たちよ。色に愛喜しないならば、それはつまり苦しみを喜ばないということだ。苦しみを喜ばないならば、苦しみから抜け出すことができる。同様に受想行識について愛喜しないならば、それはつまり苦しみを喜ばないということだ。苦しみを喜ばないならば、苦しみから抜け出すことができる。」

そのとき比丘たちはブッダの説かれたことを聞いて、よろこび承りました。


コメント

5とほぼ同文だが、則於苦不得解脱のあとの「不明不離欲」がない。もののすがたに執着することは苦しみを愛することと同じである。もののすがたに執着しないことで苦しみから解脱することができる。
組外れに見えるが、おそらく5の前半部分と後半部分が本来別々の経であり、この経と組をなしていたのではないだろうか。

パラレル

翻訳

8. Abhinandanasuttaṃ

29. Sāvatthinidānaṃ . ‘‘Yo, bhikkhave, rūpaṃ abhinandati, dukkhaṃ so abhinandati. Yo dukkhaṃ abhinandati, aparimutto so dukkhasmāti vadāmi. Yo vedanaṃ abhinandati… yo saññaṃ abhinandati… yo saṅkhāre abhinandati… yo viññāṇaṃ abhinandati, dukkhaṃ so abhinandati. Yo dukkhaṃ abhinandati, aparimutto so dukkhasmāti vadāmi. Yo ca kho, bhikkhave, rūpaṃ nābhinandati, dukkhaṃ so nābhinandati. Yo dukkhaṃ nābhinandati, parimutto so dukkhasmāti vadāmi. Yo vedanaṃ nābhinandati… yo saññaṃ nābhinandati… yo saṅkhāre nābhinandati… yo viññāṇaṃ nābhinandati, dukkhaṃ so nābhinandati. Yo dukkhaṃ nābhinandati, parimutto so dukkhasmāti vadāmī’’ti. Aṭṭhamaṃ.

 

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