雑阿含経6.四つの「不」

原文

(六)
如是我聞。一時佛住舍衞國祇樹給孤獨園。爾時世尊告諸比丘。

於色不知不明不離欲貪。心不解脱者。則不能越生老病死怖。如是受想行識。不知不明不離欲貪。心不解脱者。則不能越生老病死怖。諸比丘。於色若知若明若離欲貪。心解脱者。則能越生老病死怖。如是受想行識。若知若明若離欲貪。心解脱者。則能越生老病死怖。

時諸比丘聞佛所説。歡喜奉行

現代語訳

このようにわたしは聞きました。あるとき仏は舍衞國祇園に住んでおられました。そのとき世尊は比丘たちに告げました。

「色(=もののすがた)について知らない・明らかでない・欲貪を離れていない・心が解脱していないならば、生老病死の恐怖を乗り越えることはできない。同様に、受(=感受されたもの)、想(=構想されたもの)、行(=集めて作ったもの)、識(区別して作ったもの)について、知らない・明らかでない・欲貪を離れていない・心が解脱していないならば、生老病死の恐怖を乗り越えることはできない。

比丘たちよ。色について知り・明らかであり・欲貪を離れていて・心が解脱しているならば、生老病死の恐怖を乗り越えることができる。同様に、受想行識について知り・明らかであり・欲貪を離れていて・心が解脱しているならば、生老病死の恐怖を乗り越えることができる。」と。

比丘たちはブッダの説かれたことを聞いて、喜び承りました。

コメント

阿含経5の後半部とほぼ同じである。雑阿含3,4とよく似ているが、雑阿含3,4にある「不斷」が雑阿含5,6には含まれていない。かなり微妙な違いだが、仏教徒たちはこの違いを意識して異なる教えとして保存したようだ。

パラレル

(翻訳

正確なパラレルは不明である。前経などと同様にSN22.24. Abhijānasuttaを参照した。
3. Abhijānasuttaṃ
24. Sāvatthinidānaṃ. ‘‘Rūpaṃ , bhikkhave, anabhijānaṃ aparijānaṃ avirājayaṃ appajahaṃ abhabbo dukkhakkhayāya; vedanaṃ anabhijānaṃ aparijānaṃ avirājayaṃ appajahaṃ abhabbo dukkhakkhayāya; saññaṃ anabhijānaṃ… saṅkhāre anabhijānaṃ aparijānaṃ avirājayaṃ appajahaṃ abhabbo dukkhakkhayāya; viññāṇaṃ anabhijānaṃ aparijānaṃ avirājayaṃ appajahaṃ abhabbo dukkhakkhayāya. Rūpañca kho, bhikkhave, abhijānaṃ parijānaṃ virājayaṃ pajahaṃ bhabbo dukkhakkhayāya; vedanaṃ abhijānaṃ… saññaṃ… saṅkhāre… viññāṇaṃ abhijānaṃ parijānaṃ virājayaṃ pajahaṃ bhabbo dukkhakkhayāyā’’ti. Tatiyaṃ.

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